中国 – 公益産業研究調査会／koken

『公研』2023年6月号「公研セミナー」 第715回 公研セミナー 同志社大学特別客員教授 兼原 信克 かねはら のぶかつ：1959年山口県生まれ。81年東京大学法学部卒業後、外務省入省。条約局法規課長、総合政策局総務課長、在大韓民国日本国大使館公使、国際法局長、2012年12月より内閣官房副長官補。14年１月より国家安全保障局次長などを歴任し、19年に退任。20年より現職。著書に『歴史の教訓』『現実主義者のための 安全保障のリアル』、共著に『官邸官僚が本音で語る権力の使い方』『自衛隊最高幹部が語る台湾有事』など。 急速に立ち上がり大国化した中国 兼原 本日は「台湾有事に備える」をテーマにお話ししていきます。まずは近現代の中国の歩みを簡単に辿ってみます。それを知れば、今の中国がどのような気持ちでいるのかが見えてくるのではないかと思います。私が首相官邸に入ったのは２０１２年でしたが、それから10年間で中国の経済規模は日本の３倍になり、一気に世界第２位の経済大国に上り詰めました。それ以前の中国は、とても脅威と言えるような存在ではありませんでした。 １９４９年に中華人民共和国を建国した毛沢東は、数千万人を餓死させた大躍進、数百万人の命を奪い、中国の社会、特に教育を滅茶苦茶にした文化大革命、ソ連のダマンスキー島への無謀な侵攻などを通じて、国をボロボロにしきって76年に亡くなります。次の鄧小平は毛沢東の個人崇拝を否定し、近代化を推し進めます。朱鎔基という名伯楽を得た江沢民時代には、中国経済が軌道に乗ります。鄧小平の指示通り、江沢民は２期で政権を去ります。後を襲った胡錦濤は急激な成長によって広がった経済格差などに配慮して、ゆとりのある社会の実現をめざす「和諧社会」をスローガンに掲げていました。この頃の中国は、日米からすればまだ恐れを抱く国家ではありませんでした。 けれども、２００８年のリーマンショックを契機に状況が一変します。西側の経済が陥没しましたから、世界経済を牽引する役割を中国が担うことになったのです。中国は、とてつもない規模の公共投資をして世界経済を引っ張ります。これは石油危機で世界経済が混迷した70年代に、敗戦国の西ドイツと日本が突然Ｇ７に呼ばれて「財政出動をしてくれ」と依頼され、当時、世界経済の機関車と呼ばれたアメリカ、西ドイツ、日本で世界の経済を引っ張った過去の例とよく似ています。以降、日本では経済大国という自負が膨れ上がっていきますが、あの時と同じことが中国にも起きてしまったわけです。 中国人自身も「我々はもう大国に変わったのだ」と思い始めていて、最近では自信過剰になっています。官邸には世界中からいろいろな人がやってきますが、そのなかには王毅さん（党中央外事工作委員会弁公室主任、元中華人民共和国外交部長）もいました。２００４年９月から07年９月まで駐日中国大使を務めた方で、日本語も堪能だし親日家だと見なされていました。そんな彼ですが、20年に最後に来日した時には帰り際に「これまでの中国と同じだと思うなよ」という台詞を残していったそうです。王毅さんも態度がずいぶん変わりました。 第二次安倍政権が成立した10年ほど前までは、日本と中国の経済規模は同じぐらいでした。アメリカから見ると、アジアには自分の４分の１程度の大きさの国が二つあるという認識でした。アメリカが一人横綱で、日本と中国は小結という感じでしたから、「まさか逆らうことはないだろう」というのがアメリカの素直な気持ちだったでしょう。ところが、10年で状況はずいぶん変わりました。日本は小結のままですが、中国は大関に昇格しています。中国の大国化にアメリカも「ちょっとまずい」と感じるようになっている。習近平氏は、中国の独自の発展モデルが世界に通用すると信じて米国の世界覇権に挑戦し、また、独裁政治を否定する西側の価値観に対して攻撃的になってきています。少々、夜郎自大なのですが、それで米中関係がビリビリし始めているわけです。 中国の軍事予算は25兆円 第二次世界大戦当時の経済の規模を振り返ると、ナチス・ドイツがだいたいアメリカの３分の１、大日本帝国がアメリカの10分の１程度と言われていました。ですから自分の大きさとあまり変わらない国と対峙することは、アメリカにとって初めての経験です。中国が怖いのは、戦前の日本と同じように経済成長の果実をそのまま軍に注ぐことができる点にあります。戦後日本は、経済が成長してもそれに見合った防衛予算が付いたわけではないので、自衛隊は小さいままでした。一方の中国の軍事予算は、25兆円です。すでに日本の５倍にもなっている。 ちなみに世界の軍事予算をすべて足し合わせると１６０兆円──今はウクライナで戦争が起きているのでさらに膨れ上がっています──になると言われています。その半分の80兆円がアメリカで、中国は25兆円です。インドとロシアがだいたい10兆円。それに次ぐのがサウジアラビアですが、この国は高価な兵器をどんどん買っているだけなので予算は巨額ですが、軍隊の規模はそれほど大きくありません。Ｇ７を見ていくと日本、イギリス、フランス、ドイツあたりが５、６兆円です。日本の自衛隊は25万人の軍勢がいて防衛費も６兆円です。実戦経験がありませんから、上場していない株式と一緒で国際的な評価はありませんが、実際はＧ７のなかでもアメリカに次いで大きな軍隊です。 けれども、日本の持っている防衛力をはるかに凌駕する国が隣に現れたというのが今の状況です。中国は特に海軍がすごく大きくて、大きなデストロイヤー（駆逐艦）級の船が３５０隻あります。もうすぐ４００隻になるでしょう。アメリカが約３００隻、日本が50隻なので日米同盟の総海軍力とも拮抗しています。アメリカは世界中に船を出しているので、東アジアだけを見ると中国海軍はとてつもない規模だと感じられるわけです。 核弾頭も今は３００発から４００発を保有していると見られています。アメリカの核弾頭総数は約６０００発ですが、ロシアとの新ＳＴＡＲＴによって配備弾頭数を１５５０に制限されています。すなわち１５５０発の核弾頭を運搬するミサイルや爆撃機を１５５０基ズラリと並べていて、いつでも戦略核と呼ばれる水爆を撃てるように配備しているのです。アメリカが圧倒的に優っているよう思えますが、中国の賢いところは核弾頭を飛ばすミサイルや爆撃機をすでに１５００揃えていることです。中国の弾頭数はまだ少ないですが、ＣＩＡは２０３５年には１５００になると推計しています。それらの核弾頭を撃つための運搬手段の用意はすでに完了しているので、数が順調に増えて行けばアメリカに追い付いてくる可能性があります。 中国は科学技術を重視している 中国は「軍民融合」や「製造２０２５」といったスローガンを掲げています。これらは一言で言えば、日本の「富国強兵」と同じ意味です。中国が怖いのは、科学技術を重視しているところです。戦争は技術力こそが大事で、精神力では勝てません。特攻隊では原爆に勝てないわけです。第一次世界大戦ぐらいから産業機械が戦場に持ち込まれるようになりました。航空機、レーダー、毒ガス、戦車、潜水艦などが出てきます。第二次世界大戦になると核兵器が出てきて、これが世界の戦場を変えていったわけです。 破壊力の物理的向上は、核兵器で打ち止めです。最近の軍事技術では、情報処理技術が重要になっています。もうハードウェアの時代ではなく、情報処理で戦争に勝つというのが最先端の状況です。中国はアメリカを必死になって追いかけています。量的にもどんどん大きくなっていて、空母を買ったり第５世代の戦闘機を入れたりしている。情報処理技術もかなり進んでいます。 最先端の飛行機もずいぶん変わっています。１９８６年に公開された映画『トップガン』の続編『トップガン マーヴェリック』が昨年大ヒットしました。時代はもうドローン機に入れ替わるなかで、20年以上前に開発された第４世代ジェット戦闘機F/A-18Eに乗っていたトム・クルーズが必死で頑張るストーリーです。F/A-18Eにはメーターがたくさんあって、「パチ、パチ」と多くのボタンのスイッチを入れて飛び立っていきますが、今の飛行機はああいった複雑なつくりにはなっていません。スクリーン１枚と助手席があるだけですから、ゲームセンターにあるシューティングマシーンとほとんど一緒です。 宇宙衛星、サイバー空間、レーダー、ＡＷＡＣＳ（早期警戒管制機）などから集められた膨大な量の情報が、すべて超高速処理されて、結果が１枚のスクリーンに表示されます。これらの情報を人間がすべて読もうとすると１億年以上かかりますが、スーパーコンピューターなら一瞬で処理できる。自分がどこにいるのか、敵はどこにいるのか、自分のミサイルを最適分配するとどこを目標に撃てばいいのか、自分の部隊の兵站の補給は間に合うのか、といったすべての情報が整理されて上がってくる。 そうすると、司令官の仕事はポチッとボタンを押すだけです。もうあれこれ気を遣わなくてもいいわけです。勝つことだけを考えればいい。ボンッと弾が出て、敵は殲滅される。最近アメリカのPalantir Technologiesという会社が有名になりました。ビッグデータ分析を専門としている会社ですが、軍の指揮官に最適な判断材料を与えるデータ処理を売り物にしています。 科学技術こそが国家安全保障の一丁目一番地 アメリカの国防省は、こうした軍事技術の開発に巨額の予算を投じています。それが何と毎年10兆円もあります。この研究開発資金を国防省やエネルギー省関連の国立研究所だけではなく、大学や民間企業などにもドーンと落としていく。最先端の分野ですから、ここにはまだマーケットがありません。なので、これは補助金とは呼ばずに安全保障上の開発費として民間に資金を投じています。このシステムがあるから、民間企業はリスクなしで開発ができる。ここがアメリカの本当の強さです。開発に成功すると、スペックダウンをした商品が、マーケットに出ていきます。そこから恐竜のようなユニコーンが出てきます。ＩＴ企業を始めとしたアメリカの多くのグローバル企業は、軍事技術の民間転用から発展していたりするわけです。 戦後、安全保障と経済・科学技術が遮断された日本には、今日に至るまでこの仕組みがありません。だからまったく歯が立たない。アメリカの10兆円に対して、日本の防衛省はつい最近まで研究開発予算が１６００億円でした。まったく規模が違うわけです。日本の一民間企業よりも少ない額ですから、恥ずかしくて他所の国にはこの数字を言えませんでした。政府として防衛技術の研究開発に関心がありませんと公言しているようなものです。 アメリカと同じように巨大な規模で、安全保障関連の技術開発予算を持っている国は世界中どこにもなかったのですが、中国が追い付いてきました。中国は軍事研究開発費を明らかにしないので、どれだけの資金を投じているのかよくわからないのです。また、中国では共産党の指導の下で産・官・学・軍が完全に合体していますから、おそらく民間部門を合わせると数十兆円規模の開発予算が組まれていると見ています。研究開発努力の最先端の成果が軍事技術のほうに流れていくとなると、アメリカは初めて技術開発力で他国に負ける可能性が出てくる。アメリカは、科学技術こそ国家安全保障の一丁目一番地だとよく理解していますから、中国の動向をとても気にしています。 何度も侵略されてきた中国の歴史 次に時代を遡って、中国の歴史的な成り立ちを見ておきたいと思います。中国はどういう国かということです。基本的に漢民族は、モンゴルや満州など北の騎馬民族に何度も侵略されています。漢民族が建てた国は漢、宋、明だけです。隋と唐は鮮卑と言われている北の部族が建てた王朝です。元はモンゴルだし清は満州族です。漢民族自身は京都のお公家さんみたいな人たちなので戦争が強いわけではない。ただのお公家さんではなくて、科挙に受かった学者公家です。野蛮なことは苦手です。漢民族の誇りは、周りの蛮族に支配されても、中国を支配した異民族はみな中華文明に同化されていったという文明的優越にありました。 けれども19世紀以降、海から来た侵略者たちは、産業革命のお陰で圧倒的な軍事力と産業力を有していて、中華文明に心服し、同化されることはありませんでした。中国人は初めて軍事的次元ではなく、経済、文明の次元においても、自らを凌駕する欧州列強と向かい合いました。アヘン戦争以降、アムール川北岸、沿海州、香港、ベトナム、ミャンマー、台湾、朝鮮半島と、散々周りの朝貢国を奪われ、版図を蚕食されます。中国人の近代以降の世界観としては、まず北からロシアが陸路で満州や新疆ウイグルに降りてくる。南からは海路でイギリス、フランス、ドイツ、そして日本が入ってきます。両方から挟み撃ちされているわけです。これが19世紀後半の中国の戦略観です。 この構図が第二次世界大戦以降は大きく変わりました。中華人民共和国建国以来スターリンにすがって権力を維持していた毛沢東ですが、スターリンの死後、跡目を継いだフルシチョフと大喧嘩してしまい、爾来ロシアはずっと中国にとって恐るべき敵でした。ところが、冷戦が終わるとソ連は内側から崩落します。中国からすれば、４０００キロメートルにもおよぶ国境を接する強大な脅威が突然消えたわけです。清末には新疆に侵入してチュルク族を指嗾するロシアに左宋棠が手を焼き、海路から進出してくる英米仏独日に李鴻章が手を焼いていました。この二正面から挟み撃ちされる最悪の戦略環境が20世紀の末に激変し、中国外交は大きく自由度を上げることになりました。 南にはインドがいますが、中印は小競り合いこそありますが、巨大なヒマラヤ山脈に隔てられているので、歴史的にも中印間の大戦争が起きたことはありません。 そうすると中国がその力をどこに向けるのかと言えば、太平洋側になります。中国から見れば、台湾、フィリピン、日本が中国大陸に覆いかぶさる蓋のように見えます。その後ろをアメリカが支えている。そのアメリカは台頭する中国に嫉妬して、中国を抑え込もうとしている。そういうふうに見えるのです。 戦争をしまくった毛沢東 中国の近代は19世紀以降、類似の戦争の敗北と領土簒奪の屈辱的な歴史を歩んできたこともあって、「他国の領土を奪ってはならない」と主張します。けれども「奪われたものは奪い返していい」という理屈で行動するところがあり、あちこちで小競り合いをやっています。毛沢東は戦争をしまくった人で、１９５０年の朝鮮戦争に参入し、56年にチベットに攻め込んで奪っています。62年にはインドに攻め込んで、ネルーを激高させます。69年にはソ連のダマンスキー島に攻め込みましたが、この時に当時超大国だったソ連に思いっきり反撃をくらい腰を抜かすことになります。それで飛び込むようにして、日中国交正常化に至るわけです。それから米中国交正常化を果たします。 つまり中国は、70年代以降、西側と連携することでソ連と対峙してきたわけですが、そのソ連が自然消滅して、逆に自分たちがどんどん大きくなっていく。そうすると今度は、中国が「次は自分たちが世界覇権を狙う番だな」と考えるようになるわけです。 それでまずやったのが南シナ海の軍事化です。中国は軍隊だけではなく、海警と呼ばれる海上警察力を通じて、他国の主権を侵し、領土を侵害し、場合によっては奪います。尖閣諸島もそうです。グレーゾーンと呼ばれ、戦争の一歩手前で他国の領土、領海、ＥＥＺ（排他的経済水域）を掠め取るやり方です。このやり方でフィリピン、ベトナム、インドネシアが中国に常に圧迫され続けることになりました。中印国境でも小競り合いをやっています。 さすがの中国もアメリカの同盟国には手を出さないだろうとタカをくくっていましたが、予想は外れました。２０１２年から日本とフィリピンに対するグレーゾーンにおける中国海警による実力行使が始まりました。ターゲットはフィリピン北西にあるスカボロー礁、それから日本の尖閣諸島です。２０１２年秋には、スカボロー礁が獲られました。フィリピンは国際海洋法裁判所に訴えて、その後の仲裁裁判で勝訴判決が出ますが、中国は「紙くずだ」と言って相手にしなかった。 12年11月以降は、尖閣諸島に中国船籍が頻繁に来るようになりました。さすがにアメリカの太平洋同盟網の要である日本には来ないだろうと思っていたら、やはりやって来たんですね。日本は「尖閣諸島は領土問題でさえない」と言って中国の主張をはねつけていますが、中国は尖閣諸島を始めとして、中国が係争地域だと考える領土はすべて実力で取り返すと腹を括っているようです。 最大の獲物は台湾 中国にとっての最大の獲物は台湾です。台湾は１９９６年に行われた初の直接選挙によって李登輝氏が「中華民国」総統に就き、彼のもとで民主化が進展します。この時から自分たちは台湾人だとより強く認識するようになっていきます。李登輝氏は、戦前に京都帝国大学に留学して、京大の剣道部にも所属していた日本の侍のような政治家です。興味深いことに韓国のエリートは東京帝国大学で学んだ人が多いのですが、台湾は京大を選ぶ人が多いんです。 李登輝氏は、台湾が生き残る方法は一つしかない、それはアメリカがコミットしてくれることだと考えます。そしてアメリカがコミットする条件は何かと言えば、それは台湾を民主化することでした。実際に民主化を果たしたことで今アメリカは本気で台湾を支援するようになっています。米議会では伝統的な共和党保守派に加えて、民主党左派の人権派が台湾支持に回りました。今やホワイトハウスよりも、米議会こそが最大の台湾の支持者です。このあたりの李登輝氏の見立てや判断は天才的だと思います。 民主化を進める台湾に対して中国はものすごく焦るんですね。なぜなら、実は中国という国には国民的アイデンティティが未だにないからです。大清帝国が滅んだのが１９１２年でした。明治天皇崩御の年です。日本が破竹の勢いで近代化していったときに、清はゆっくりと倒れたんですね。清が倒れるときには、イギリスのアヘン戦争から始まり、ロシアの南下、フランスにベトナム、イギリスには香港を奪われた。義和団事件で北京を蹂躙されて、散々痛い目に遭って最後に日本が入ってきた。 この時に中国に民族意識が出てきます。救国思想です。この救国の「国」とは清のことです。先ほどもお話ししましたが、清は漢民族を制覇した満州族がウイグル族やチベット族、モンゴル族を引き連れてきて建国した王朝です。清国の版図は大きいわけです。ちなみに清の一つ前の明は、元のモンゴル族を中心とした異民族を追い出して、漢民族を中心にした王朝なので版図が小さくなります。中国は、漢民族王朝と異民族王朝が交代するごとに、心臓が膨らんだり縮んだりするように大きさを変える国です。 ところが、１９１１年の辛亥革命を指導した孫文は「滅清興漢」をスローガンに掲げました。これは「清を滅ぼして漢が勝つ」といった意味です。つまり、漢民族中心の中国を打ち立てようというわけです。漢民族と騎馬民族を含む多民族の連合体ではなく、漢民族中心の中国が想定されています。中国の近代的アイデンティティには、初めから少数民族との間に亀裂が入っているのです。 共産主義で本当の愛国精神が芽生えた国はない ところが、毛沢東が出てきて共産主義革命を成功させ、今の中華人民共和国を建国すると、少数民族問題は一旦消えることになります。個人崇拝を伴う強力な思想統制によって、全員が「共産主義的中国人」だと思い込まされたからです。しかし、共産主義で本当の愛国精神やアイデンティティが芽生えた国はありません。キューバやベトナムなどは単一的な民族国家だから、共産主義のもとでもまとまっていけるわけです。アメリカやインドネシアのように、まったく違った人たちが集まっている国家でもアイデンティティは形成されます。その場合には、アイデンティティの核の部分に宗教的な要素が入ってきます。神、仏、愛、信仰、良心、自由などと言った人間の心に沁みる価値観がなければ、アイデンティティは生まれません。 共産主義は無神論で独裁を容認し、極端な思想統制を課しますから、政治体制の維持に無理が生じてくる。生命力を失います。独裁国家のもとで強制的に思想改造を上から押し付けても必ず失敗するんです。人々の良心は、かえって魂の底に沈んで純化されます。「共産主義的人間」というアイデンティティは生まれないのです。 特に中国では、鄧小平以降は経済発展が続き、その社会の姿は原初的な共産主義の理念からかけ離れています。共産党自体も著しく変質しています。昔は農民、工員の息子や娘がいい血筋の共産党員ということでした。地主の息子や娘は下層国民だったのです。最近ではこれが完全にひっくり返っています。共産党が腐敗しきって党員幹部がすごい金持ちになった。金持ちの堕落政党となっているわけです。こうなると、「中国共産党のために私たちは死ぬのだ」といった愛国者は誰もいなくなります。今の中国にはアイデンティティがなくて統治の正統性がないのです。 そうすると、もう一度国民を糾合するための新しい理念が必要になります。中国共産党による統治の引き締めに躍起になっている習近平は、「中華５０００年の栄光」とか「中華民族の偉大なる復興」といったことを繰り返し言うようになりました。これは漢民族のことを言っているわけです。けれどもそれを強調すると、ウイグル、チベット、内モンゴルなどの周縁で暮らす人たちは「我々は、漢民族とはまったく違う民族だ」と言い始めることになる。 彼らは草原の民です。万里の長城の北側からウクライナのキーウぐらいまでは、大きな山脈がほとんどないので、彼らは長い間、広大な草原を羊の群れを連れて、奥さんはラクダに乗って、男たちは馬に乗って刀と弓を持って遊牧して生活してきたわけです。彼らからすれば、漢民族の農耕社会は自分たちとはまったく異なる世界です。「中華５０００年の栄光」などと言われると、「自分たちはあなたたちとは違う」ということが強調されることになる。 この少数民族問題は、ますます深く中国に突き刺さる棘になっています。今でも中国はすごく苦労して、少数民族を治めています。昔は漢、満、蔵（チベット）、回（ウイグル）、蒙古（モンゴル）の５民族と言われていましたが、今日、少数民族の数は53あると言われています。13億人のうちの何と１億人は少数民族です。彼らが独立志向を強めると、かつてのソ連邦のような国家分裂の危機となります。中国共産党政府は、強制的な同化政策をとり、少数民族への締め付けを強めています。最近、国際的に問題となっている新彊ウイグルの人権弾圧には、中国共産党の統治崩壊への恐怖が動機になっていると思います。 中国共産党の栄光の歴史の最終章が台湾併合 こうした状況のなかで２３００万の人口を持つ豊かな台湾人が「我々は中国人ではありません」と言い始めたら、他の少数民族を刺激するのは間違いありません。これを許していたら、共産党政権の中国は崩壊することになりかねない。いま中国は非常に激しい対応で台湾に接していますが、アイデンティティ、少数民族の問題が絡んで、台湾問題は決して妥協できないのだと思います。 最近の中国は、共産党がなぜ偉いのか、その歴史的理由を子どもたちに教え込んでいます。中国共産党は、第二次世界大戦では日本軍、そして蔣介石を中国から追い出した。朝鮮戦争でも北朝鮮を支援して勝利した。その後、経済成長して、世界的な指導力を発揮する大中国を築き上げた。中国は、今では世界第２位の経済大国である。今日の中国をつくったのは、中国共産党だ。だから共産党は偉いのだといった説明をしています。 そして、中国共産党の栄光の歴史の最終章が台湾の併合です。さすがに習近平も明日にでも台湾を獲りに行こうとは考えていないと思います。できればやりたい、と思っているでしょうが、リスクを冒してまで攻め込むかどうかまではよくわからない。ただし、習近平は、台湾併合はいつかはやらざるを得ないと考えています。例えば、台湾が独立を宣言したとき、中国が何もしなければ、中国共産党は、統治の正統性に関する根拠を失いかねません。習近平は、ならば致し方なし、と考えるかもしれません。武力行使に訴える可能性があります。 １９９６年に台湾が民主化する際に、中国は台湾海峡にミサイルを撃ち込む第三次台湾海峡危機を起こしています。宮古島の沖です。あの時はアメリカがすぐに反応して、ニミッツとインディペンデンスという２隻の空母を送り込んでいます。空母には一隻に70機以上の航空機を搭載できます。70機というのは嘉手納飛行場と同規模です。嘉手納は極東最大のアメリカ空軍基地です。それが２隻ですから、すさまじい規模だと理解できると思います。真ん中に空母がいて、その周りをイージス艦がびっしり固めます。イージス艦には１００基くらいの防空ミサイルが積んであります。そうすると空母を中心にした半径２００キロメートルぐらいの防空圏ができるんです。 空母から爆撃機が飛び立ってミサイルを落として帰ってくる。空母をやっつけようと思っても、イージス艦がいるので空母に打撃を与えることはかなり難しい。しかも海底には原子力潜水艦がびっしり潜っているので、潜水艦が近づくことも容易ではない。空母は巨大な戦闘集団の中核なのです。これが２隻もやってきたので中国は腰を抜かしてすぐに引っ込んでいきました。 彼らはこの時の屈辱が忘れられないんです。それから中国は沿岸にものすごい数のミサイルを揃えたのです。船もどんどん増えて３５０隻の軍艦を持っています。今はもうアメリカも迂闊には近づけない状況になっています。かつてであればアメリカが「戦闘を始めるなよ」と警告すればそれが十分に効きましたが、今は「始めるな」と言っても中国は始めてしまうかもしれない。これは恐ろしい状況です。 習近平の生い立ちと政権の特徴 次に、習近平政権の特徴や彼の人物像についても考えてみたいと思います。今の政権の布陣はとても気になるところがあります。どうも昔、自分がいた地元の一番かわいい部下を集めてきた印象があります。上海から引き揚げられた側近の李強氏（中国国務院総理）などはその典型ですね。日本でこんな政権をつくったらすぐに潰れますよ。例えば岸田総理が政権を組まれた時には、自らの基盤の宏池会、その親戚とも言える志公会（麻生派）、支持してくれた茂木幹事長の平成研究会だけではなく、故安倍元首相が率いた清和会や志帥会（二階派）にも気を配っています。連立与党の公明党からも閣僚に来てもらっています。こうして与党を挙げて国会を運営するわけです。これが与党を中心に政権を組むという意味です。 ところが、今の習近平政権はそうした配慮をしなくなっています。李克強前首相、故春華前副首相を始めライバル派閥の共産主義青年団の幹部をことごとく放逐しました。岸田政権に喩えると、自民党広島県連の財政課長や広島県警の警備課長などが閣僚をやっているイメージです。日本なら「それではとても国会を運営できません」とさすがに総理を諌めることになるでしょう。けれども、習近平政権ではそうなりません。周りはイエスマンばかりです。習近平のために「命を懸けます」と誓える人物だけが揃っている。ただし、経済分野だけはエリートが残っています。経済の調子が悪くなると、中国共産党は一気に窮地に追いやられる可能性がありますからね。それ以外の部門は、子分たちが固めています。軍もそうです。ですから、習近平が「やる！」と決めたことは、そのまま実行に移される政権になっています。台湾有事の時も、そうなるでしょう。 上海閥と共青団の二大派閥に担がれた習近平 習近平のお父さんは習仲勲と言うのですが、なかなか立派な人物で、毛沢東や鄧小平とも少なからぬ関わりがありました。朝鮮戦争以降の中国と習父子の歩みをざっと振り返ってみます。朝鮮戦争でボロボロになって帰ってきた毛沢東は、スターリンのソ連に助けてもらって国づくりを進めますが、結局は次のフルシチョフと大喧嘩をしてソ連には頼れなくなります。そこで毛沢東は１９５８年から大躍進政策を主導して、集団農場化と集団工業化を推し進めることでソ連依存からの脱却を図ろうとします。けれども先に述べましたが、これが大失敗をして４０００万から５０００万の餓死者を出すことになります。今の日本の人口の約４割が餓死したわけですからすさまじい状況でした。 当然、毛沢東には退いてほしいと周囲は考えます。部下たちは彼を祀り上げて神格化することで、実際の政策運営からは遠ざかってもらおうとします。しかし、政治的窮地に追い込まれた毛沢東は、「だったらすべてをぶっ壊したらいい」と考えた。破局に活路を見出そうとしたのです。それで始めたのが文化大革命です。部下はもう言うことを聞きませんから、若者や子どもたちを煽ったわけです。「まだ革命は終わっていない」「造反有理だ」と。それで中国社会を壊滅させて、一緒に政敵もすべて潰して、彼自身は生き残るんですね。毛沢東は政治闘争の天才ですから、常人では想像もつかないことを思いつくんです。 １９７６年に国がボロボロになって、毛沢東は亡くなります。引き継いだ鄧小平は毛沢東にいじめ抜かれた人ですが、何度も這い上がってきた人です。鄧小平は中国の近代化を推し進めた人です。彼は国家主席と党の総書記の任期を２期10年に制限しました。そして中国共産主義青年団（共青団）と上海閥という二つの派閥をつくりました。共青団は中国共産党のエリートコースで、北京のリーダーに最も近い。共青団のトップが胡錦濤です。また、上海は経済・金融の中心地ですから、ここを押さえるとすごく強い派閥になります。上海閥のトップが江沢民です。 鄧小平は、二大派閥を争わせます。先に党総書記の機会を与えられたのが江沢民でした。彼には朱鎔基という有能な片腕がいたので、ゾンビ企業をドンドン整理することで中国経済を強くすることに成功します。その次に、胡錦濤に国家運営の舵取りを任せるわけですが、１９９７年に鄧小平は亡くなります。それで二大派閥の抗争が始まります。吉田茂、岸信介亡き後の自民党戦国史と同じです。権力闘争に消耗した胡錦濤は、十分な力が発揮できないままに辞めることになります。権力基盤が整っていないこともあって、ずっとフワフワした感じで、可哀想なところもありました。問題はその次です。自民党でも時々似たことが起きますが、小沢一郎さんの言葉を借りると「神輿は軽くてパーがいい」ということになって、両派閥が安全牌だと見ている人物を選ぶことになる。それが習近平でした。 不遇な政治家だった習近平の父「習仲勲」 話を習父子に移します。お父さんの習仲勲は、長征で蒋介石から逃げてきた毛沢東を庇った共産党の立役者の一人でした。けれども割とズケズケと物を言う人だったようで、毛沢東に嫌われ難癖をつけられて放逐されます。文化大革命の時には、毛沢東に睨まれ、その後16年間も拘束されるなどの迫害を受けています。息子の習近平は陝西省の田舎に追いやられて、習家は離散することになります。しかし幼い彼が北京を出るときに言った言葉は、「これで生き延びられる。北京にいたら殺される」だったそうです。 田舎では一生懸命に毛沢東の本を読んで、善良な農民のふりをして猫をかぶっていたようです。徹底的におとなしく暮らしていたので、少年時代の習近平を知る人たちは「あの人が偉くなるとは思わなかった」と口を揃えます。ある日、あまりに辛くてお母さんのところに逃げ帰ったことがあったらしいんです。けれどもお母さんは、「息子が来ていますから連れて帰ってください」とすぐに警察に電話したというエピソードがあります。そうしなければ、一家全員がやられてしまうわけです。習近平は、少年時代にすごく辛い目に遭った人です。 お父さんの習仲勲は毛沢東が亡くなった後に拘束を解かれますが、今度は、鄧小平に睨まれることになります。１９８９年の天安門事件のときに、「若者たちを殺していいのか」というようなことを言ったらしいんですね。それでまたしても立場を失うことになる。なかなか骨太の偉い人物でしたが、すごく不遇な政治家でした。 習近平は若い頃に河北省や福建省でキャリアをスタートさせますが、当時の地方は腐敗しきっていました。彼が偉いのは腐敗の輪に入っていかなかったことです。同じことをしていれば、いつかは捕まると思って、じっと大人しくしていたそうです。案の定、そこにいた多くの同僚たちは北京の司直に逮捕されることになる。彼はこの時に大事なことに気が付いたんですね。みんな腐敗していますから、検察を押さえておけば、自分の政敵になり得る人たちを逮捕することができると。習近平は権力を握ってから、まさにそれをやったわけです。 習近平はまず江沢民派の大親分だった周永康（元中央政治局常務委員）を逮捕します。石油・ガス利権のドンだった彼は、同時に検察を担当していた人なんです。ここを潰してしまえば検察が手に入る。共産党の幹部たちは、程度の差はあれみな腐敗していますから、検察を使って敵となる人たちを順番に失脚させることができた。検察から汚職を追及されると、みな何も言えなくなる。彼は、こうやって胡錦濤一派を綺麗に排除したのだと思います。 就任当初の頃は、習近平は用意された文章を読んでいました。それが次第に自分の言葉でしゃべるようになってきて、最近ではもう堂々と自分の言葉で語ります。最初は担がれた神輿でしたが、今は名実ともに一強を実現した独裁者になりました。これには10年かかりました。 彼が今やっているのは、共産党の支配力の再確立です。毛沢東がやったように、精神主義で徹底的に締め上げる手法を用いています。これがちょっと怖いところです。仮に経済成長が鈍化したり、台湾が独立するほうに加速したりしていくと、政権への批判が高まり共産党の正統性が危うくなる可能性が出てきます。そうした危機を回避するためにも、強権で開戦に踏み切ってしまう可能性もあります。中国の核心的利益が取りざたされますが、つまるところ中国共産党にとっては、自らの特権的独裁権力の維持こそが核心的利益なのです。 中国と対峙するための多国間の枠組み 実際に中国経済はすでにピークアウトが始まっている、と指摘されています。普通の国民国家で工業化すると、経済力はグンと上がりますが、その過程で都市に人が集中することになります。原因はよくわかりませんが、都市に人口が集中すると、どこの国でも女性は子どもを産まなくなります。田舎では５人くらい平気で産んでいたのが、都会に出てくると１人か２人になる。２０１６年に「一人っ子政策」を止めて、最近では３人まで子どもを持てますが、それでも子どもは増えません。やはり都市化は、人口を減らすところがあって歯止めをかけることは難しい。 日本は毎年80万人ぐらい人口が減っていて、猛スピードで韓国がそれを追いかけている。中国はやっと人口が減り始めたところです。とは言っても２０００万近かった新生児が１０００万を切っているのですから、こちらも少子高齢化が早い。今後20年すると中国の労働市場がだいぶ縮小しますから、そうなると賃金も上がり、外国投資も逃げ、中国の経済成長の勢いはガクンと落ちる可能性があります。 その点アメリカは、今でも年間１００万人の移民が入っている。私が高校生のときに人口２億人でしたが、今ではそれが３億人を超えている。移民がガンガンアメリカに入っているわけです。さらには不法移民が１００万人規模で入ってきています。アメリカは、不法移民を捕まえてもすぐに釈放します。実態はきちんと把握されていませんが、国内に留まってどこかで働いているわけです。トランプさんは不法移民を「厳しく取り締まれ」と声高に主張しましたが、彼らが低賃金で働くことで、結構、アメリカ経済を支えている面もあるわけです。 イギリスやカナダも似た構造がありますが、いずれにせよ経済も人口も落ちていくことはなくて引き続きゆっくり上がっていきます。イギリスも人口増に転じました。移民のお陰です。ちょっと前までは「中国の経済規模はまもなくアメリカに追い付くのではないか」とも言われていましたが、習近平の経済運営が下手なこともあって「追い付かないままに失速するのではないか」とも言われるようになっています。 中国が西側全体に追い付くことは絶対にない 西側の総合経済力はアメリカ、カナダ、イギリス、ＥＵ、日本、韓国、台湾、豪州・ニュージーランドをトータルしたものです。これらを足し合わせるとアメリカの経済規模の２倍になりますから、中国が西側全体に追い付くことは絶対にありません。ということは、西側が団結すれば中国をコントロールできるわけです。最近アメリカは「統合抑止」という言葉をよく使いますが、これは昔で言うところの「関与政策」の焼き直しです。西側全体で組んでいれば、軍事面以外でも外交や価値観、文化、地球環境などのいろいろなメニューを組み合わせて、時にはさすってみたり、時には叩かれたら叩き返したりしながら、中国をコントロールできるという発想です。これがアメリカの最近の考え方で、日本政府もまったく同じです。 そして、これから重要になってくるのがインドとＡＳＥＡＮです。インドの経済力はだいたい日本の半分ですが、工業化のスピードはすさまじい。成長が始まれば、子どもと同じであっという間に大きくなります。小さな娘のようにかわいかったＡＳＥＡＮの経済力は、もう日本の７割５分です。立派な女子高校生のようになりました。あと10年もすれば、日本はインドとＡＳＥＡＮに抜かれます。初老の日本としては、ＡＳＥＡＮとインドをどうやって自分たちのほうに引き付けるのかが大きな課題です。 ＡＳＥＡＮは十一面観音 ただし、ＡＳＥＡＮは国によってスタンスが異なります。私は十一面観音と呼んでいるんですが、まったく違う11カ国の顔が次から次に出てくるので、どちらを向いているのかよくわからないところがある。私たちの味方と言えるのは海側のフィリピンとインドネシアで、両国は過去に中国の支配圏に入ったことがありません。日本と同じように朝貢しなかった国々です。それからベトナムは中国と同じ共産主義の国ですが、長い歴史のなかでしょっちゅう侵略して朝貢を強要してくる中国が大嫌いです。三カ国とも南シナ海の沿岸国で現在、南シナ海を「自分の海」と主張し、九段線を引いて沿岸国の権利を侵している中国の犠牲者です。日本のＡＳＥＡＮ政策は、基本的にこの三つの国が軸になります。 タイは日本の投資が集積していて、経済的にすごく重要ですが、彼らは文明的にも距離的にも中国に近いので、中国に親近感を持っています。「日本と中国のどちらが好きか？」と聞くと、ベトナム、インドネシア、フィリピンは「日本」と答える人が多いのですが、タイは「中国」と答える割合が多い。ミャンマーは民主化に逆行して軍事政権が市民にひどい暴力を振るっています。西側がそれを非難しているものですから、力学的に中国のほうへ行ってしまっている。カンボジア、ラオス、ブルネイは小さい国なので中国に歯が立ちません。中国が完全に抑えている状況です。ただラオスはベトナムが抑えていますから、中国一辺倒にはなりません。ブルネイは、南シナ海の海底油田開発を中国に妨害されることを恐れて、中国の意向に敏感です。チャイナマネーが席巻しているカンボジアは、西側の資金が流入してくれば、徐々に中国と西側と等距離になると思います。今は、このようにＡＳＥＡＮ全体を中国と西側が引っ張り合いをしている状況にあるわけです。 ＡＳＥＡＮの動向には西の大国インドの立ち位置も影響を与えるところがありますが、最近インドは明確にこちら側に軸足を移しています。インドはもともと非同盟を原則にしてきた国で、西側にも東側にも従属しないことを明言していました。それにガンディさんとネルーさんがつくった生まれながらの民主主義国です。ネルーは中国と組んで第三世界を引っ張る構想を描いていましたが、１９６２年に乱暴な毛沢東がインドに攻め込んだ。ネルーはすごくショックを受けて「絶対に中国を許さない」と一気に中印関係が悪化します。ところが70年代に入ると、日本とアメリカがなんと共産主義の中国との国交を正常化させてしまうわけです。これがキッシンジャー博士が仕組んだ、冷戦期間中のデタントと呼ばれる短い緊張緩和期です。 西側と中国の接近に、中国と対立するインドはすごく焦って、非同盟を原則にしながらもロシアに接近していきます。最先端の武器を買うためです。インドに他の選択肢はありませんでした。ですから、冷戦中の国際政治構造は日欧米中VSソ連（ロシア）、インドだったんです。インドから見ると、日本や米国は敵でした。なぜなら、日本も米国もインドの敵である中国の味方だったからです。 「自由で開かれたインド太平洋」構想 それが冷戦後はどう変わっていったのか。まずソ連が解体し、ロシアの国力も急激に落ちます。それでもインドはやはりロシアとくっ付いているんですね。ロシアの凋落と反比例して中国の国力が上がってきたから、インドは対中牽制のためにロシアとは切れないのです。ところが今ロシアがウクライナに攻め込みましたから、西側から厳しい制裁を受けています。制裁は停戦後もしばらく続くでしょうから、ロシアの国力はこれからさらに落ちていく。 そうなるとロシアは、西側への対抗上19世紀には見下しもし、20世紀後半には対立もしてきた中国に接近せざるを得なくなります。前世紀期までロシアが兄貴分、中国が弟分でしたが、今後は強大化した中国に対してプーチンは膝を屈しなければならない。３世紀近くモンゴル人支配を受けたロシア人には辛い屈辱でしょうが、背に腹は代えられません。 そうすると、インドの立ち位置が不安定になります。インドからすれば、「ちょっと待ってください。中国牽制のためにロシアと仲良くしていた私たちはどうすればよいのか」と、自問するようになります。ロシアとの関係は切れないにしても、中国にどんどん接近していくロシアのほうばかり向くことはもうできません。もう一つの軸足を我々の陣営に置かなければ、インドは立っていられません。そのインドのために日本が用意した枠組みがクアッド（日米豪印）です。インドはゆっくりと日米欧の西側に近づいてきているわけです。 そしてインドの手を思い切り引っ張ったのが、故安倍晋三首相です。安倍さんが大きな声で「自由で開かれたインド太平洋」構想を打ち出しましたから安倍ブランドになっていますが、インドを巻き込むことが戦略的に大事だということは、世界中で多くの人が理解していました。けれども、実際に国家の政策として実行に移した安倍さんはやはりとても偉かったと思います。今日では、世界の多くの国々がシェアしているインド太平洋戦略は、安倍ブランド、日本ブランドになりました。日本外交が世界史に大きな影響を与えるのは、戦後これが初めてだと思います。 インドはまもなく人口でも中国を抜いて14億を超えるのですが、平均年齢が28歳なんです。中国は38歳、日本は48歳、なんとアフリカは19歳。アメリカ、ロシアがだいたい38歳ですから、インドはそれより10歳若い。日本と真逆で皆が希望に燃えている国です。「明日は絶対に今日よりも良い」というのが今のインド人ですから、エネルギーに溢れている。高度成長期の日本と同じです。このインドを取り込むことは日本にとっても重要です。インドがこちら側に軸を置いてくれれば、中国の脅威も薄れることになる。 ヨーロッパ各国の中国へのスタンス 逆に中国からすれば、徹底して分断工作をやらないと自分たちが押し潰されるという危機感を持っています。ここが最近の中国外交のポイントです。日本は台湾の問題の当事者ですから、当然、中国の誘いや工作には乗ってきません。そうすると、ターゲットはアジアから遠いヨーロッパになります。欧州各国の中国へのスタンスを見ていくと、イギリスは基本的にアメリカと歩調を合わせるので、中国にキツい態度を見せています。 フランスは微妙なところがあります。今年４月に習近平とマクロン大統領がフランスで会談して、中国はフランス製の航空機（エアバス）１３０基を購入することを決めました。その後、記者会見でマクロン大統領が米中の緊張関係に安易に巻き込まれてはいけないという趣旨の発言をして世界中からブーイングを浴びました。経済的な利益を餌にマクロンが見事に釣られてしまったわけです。フランスは、ドイツと違って工業がそんなに強いわけではなく農業が強い国です。国の介入が強い原子力、航空機、軍事などの産業が強いのですが、中国はそこをきちんと見ているわけです。フランスが売りたくて仕方のない飛行機を中国が「買いましょう」と言ってくると、飛び付いてしまう。中国の航空産業は未だあまり強くないので、彼らにとっても悪い取引ではないんですね。ただしフランス人は原理・原則をすごく重視します。特に人権問題には厳しい態度を示しますから、中国との接近には限界があります。 フランス外交に注意が必要なのは、彼らが多極主義を唱えている点です。日本やイギリスと違って、フランスはアメリカのジュニアパートナーとなることを強く忌避します。アメリカとは違うことをやったり、アメリカに逆らったりすることに喜びを覚える国ですから（笑）、アメリカ以外の極を大事にする傾向があります。最早ロシアはしばらく一つの極にはなり得ないでしょうが、中国はこれからの多極世界の重要な一極だという意識がフランスにはあるので、ここには注意する必要があると思います。 ドイツは敗戦国だったこともあって、日本と一緒で自前の安全保障政策がないんです。日本は日米同盟を安保政策の基軸にしているのに対して、ドイツはＮＡＴＯが基軸です。自前の軍事政策がない代わりに、ＮＡＴＯには何でも協力するというわけです。けれどもＮＡＴＯの行動範囲は、大西洋両岸からアフガニスタンまでです。９・11の同時多発テロの際にアフガンのアルカーイダがアメリカに攻め込んだために、ＮＡＴＯ軍がアフガニスタンに入り込みました。こうしてアフガンまでは戦略的な視野を広げましたが、そこから東は戦略的視野がありません。 ドイツにとって中国は、「黄金郷（エルドラド）」以外の何物でもありませんでした。メルケル首相は、参勤交代のように毎年中国を訪問していましたが、安倍政権時代の日本には２回しか来ませんでした。これがドイツの中国外交です。ただし、この２、３年はドイツもようやく目が覚めてきています。香港やウイグルなどへの弾圧もあって、国内の人権派が反発し、中国離れを起こし始めている。けれども経済面では中国とべったりなので、なかなか中国から足が抜けないのが、今のドイツだと思います。 こうしてヨーロッパの国々を見ていくと、中国へのスタンスはさまざまですが、そうは言っても米国とならぶ西側の雄である欧州諸国を手繰り寄せておく努力はやはり外交上欠かせません。 ＮＡＴＯとの結び付きを深める アメリカのアジア太平洋地域の同盟国には日本、韓国、フィリピン、タイ、豪州の５カ国がありますが、アメリカからすればこの地域の軍事力は頼りなく見えます。その点欧州正面のＮＡＴＯは強力ですから、アメリカは日本にＮＡＴＯともきちんとした関係を構築してほしいという話をしていました。ＮＡＴＯの地理的責任範囲は、北大西洋と明確にされていますが、国境のないサイバー空間や宇宙空間でも日本との協力は可能ですし、有意義です。 安倍総理は、第一次安倍政権の時に、日本の総理として初めてＮＡＴＯの本部を訪問されました。それ以後、ＮＡＴＯと日本の関係は、急速に進展しました。今年４月にはＮＡＴＯが、日本に常設代表部を設置することを決定しました。日本はすでに、ＮＡＴＯ代表部をブリュッセルに置いています。駐ベルギー大使が兼任です。 やはりヨーロッパはアメリカに次いで大きな存在ですから、日米とヨーロッパの間にヒビが入ると、対中総合抑止が効かなくなります。中国はヨーロッパを日米と分断させようといろいろな手を打ってくるでしょうが、西側がチームを組んで団結すれば、中国は怖くありません。Ｇ７、クアッド、自由で開かれたインド太平洋、それからＡＵＫＵＳ（英米豪）──これはアメリカの譜代の家臣とも言えるイギリスおよびオーストラリアの三国間協力枠組みです──などの枠組みはＮＡＴＯのない北西太平洋で、西側諸国を重層的に結び付ける役割を果たしているわけです。 日本は自由貿易の旗手 経済面の多国間の枠組みにおいては、意外かもしれませんが日本は自由貿易の旗手として頑張っています。「アメリカファースト」を絶叫したトランプ前米大統領の登場以降も、自由貿易の重要性を訴え、推進し続けています。アメリカはＴＰＰ（環太平洋パートナーシップ協定）交渉から離脱していきましたが、その後、日本が主導権を取り、交渉に残った11カ国で、ＣＰＴＰＰ（包括的先進的環太平洋パートナーシップ協定）をまとめ上げました。 ＲＣＥＰ（地域的な包括的経済連携協定）でも日本は存在感を示しています。ＲＣＥＰは、ＡＳＥＡＮ＋日中韓、豪州、ニュージーランドをメンバーとする経済協定ですが、ここは始めからアメリカとヨーロッパがいないので中国が仕切ろうとします。放っておくと中国に引っ張られてレベルの低い自由貿易協定になるので、将来の超大国のインドも入れてバランスを取ろうと働きかけてきましたが、インドは未だ工業化の初期段階にあり、保護貿易色を残しているために結局、折り合いが付かなかった。日本は、豪州やニュージーランドと協力して、市場歪曲的な措置を認めるような、質の悪い自由貿易はすべきではないと孤軍奮闘してきました。 また、ＥＵとも世界最大規模の自由貿易圏である日ＥＵ経済連携協定（日ＥＵ・ＥＰＡ）を締結します。ＥＵはトランプ以降の保護主義的な流れを懸念していたこともあって、日本と一緒に自由貿易を推進することを心強く感じています。ただし自由貿易はマーケットの論理に従って、工場が人件費の安い地域へ直接投資のかたちで移転していくので途上国は裨益しますが、先進国の産業は空洞化する側面があります。ここをきちんと手当てせずに放置しておくと、アメリカのようにアンチ・グローバリズム感情が高まって先進国のほうから保護主義が始まってしまうこともある。ですから先進国は生産性を上げる努力を続けることで、保護主義への逆流を止めなければなりません。 日本の備え 最後に軍事についてご説明します。ここは外交や経済の枠組みとは少しレベルが違う話になります。戦前のアジアの軍事情勢は日本が仕切っていましたが、戦争に負けたので統治していた朝鮮半島、台湾から引き上げていくことになります。アメリカは、フィリピンに独立を与えます。この三つの地域は力の真空になって、それより先の地域はすべて共産圏に獲られているという状況でした。アメリカはその力の真空を埋めるために、日本が引いた地域に入ってきたわけです。アメリカは日本に後ろ足を置いて、前足で韓国、台湾、フィリピンを抑え、そういう態勢で極東地域全体を守ろうとしました。日本は、そのために在日米軍基地の使用を認めました。これが極東条項と呼ばれる１９６０年に岸信介首相とアイゼンハワー大統領との間で締結された日米安全保障条約第６条の基本的な構造です。 この時に合意したことをもう少し嚙み砕くと、日本の外縁に在る韓国、台湾、フィリピンはアメリカが在日米軍基地を使って守るので、日本の自衛隊は北海道でソ連と対峙することに集中してほしいということでした。未だ米国の対日警戒心は消えておらず、日本の軍事力は制限されていましたから、日本は、中規模な自衛隊で、対ソ防衛に専念してほしいという米側の思惑もありました。冷戦当時、自衛隊の規模は２８万人程度（今は24・５万人）でした。ソ連、中国、北朝鮮の赤軍に比べると、とても小さく見えました。彼らから見れば、最盛時１０００万将兵を抱えた帝国陸海軍という怪物が、子猫になったように見えたことでしょう。 冷戦中はヨーロッパ側のＮＡＴＯは強力でした。北極海を挟んで当時７万発とも言われた核兵器が向かい合っていました。ＮＡＴＯがソ連という熊の首を押さえ込んでいたわけです。ソ連の意識は西側に集中していたので、冷戦時代は東側に位置している日本は、楽をしていたとも言えます。冷戦期にロシアがやった武力干渉は、１９５６年のハンガリー動乱や１９６８年のプラハの春など共産圏内での出来事でした。ハンガリーもチェコスロバキアも、第一次世界大戦までは典雅なハプスブルク家の一員でした。戦後乗り込んできた粗暴なスターリン一味には幻滅していたと思います。しかし、ソ連は身内の揉め事でお灸を据えているだけだ、共産圏内部の国々の主権は制限されてよいのだ、国連憲章には関係ないといったことを主張したわけです。ブレジネフ・ドクトリンと呼ばれました。西側は、共産圏の内側の出来事には手が出せなかった。 しかし、１９７９年から始まったソ連のアフガニスタン侵攻は別です。アフガンは英ロのグレートゲームの緩衝地帯でした。誇り高いアフガン人は外国人の侵入を嫌いましたが、どちらかと言えば英国勢力圏だった。ソ連の勢力圏ではなかったので、アフガニスタン侵攻はソ連の拡張主義の現れと捉えられ、レーガン大統領を筆頭に西側は立ち上がり新冷戦時代となりました。結果的にはソ連はアフガン戦争で疲弊し、またソ連型共産党の極端な独裁は、経済を逼塞させ、社会を窒息させ、生命力を失ったソ連共産党独裁体制が崩壊して冷戦が終結することになりました。 先ほどもお話ししましたが、冷戦時代の中国は途中から日米側に転がり込んでいましたから、ソ連が崩壊して中国も西側も一息つけると思ったわけです。ところが、今世紀に入ってから、中国が急速に立ち上がっている。その中国が西側の期待に背いて、ロシアの後釜に座って西側と対峙しようとしている。西側と言っても、中国の正面は日米同盟と台湾です。台湾はＮＡＴＯの関心の外にあるのでアテにはできません。韓国は北朝鮮で手いっぱいです。フィリピンは戦略的要衝というべき位置にありますが、軍隊は弱い。オーストラリアの軍隊は強いのですが、人口は台湾と同程度の２３００万人ですから軍の人員は５万人ぐらいしかいない。それに南半球にあって距離も遠い。アメリカからすれば旗本なんですよ。そうするとこの地域で頼れる大名は、やはり日本だけなのです。 日米安保体制の進展 日米安保体制は、その後１９９４年の北朝鮮核危機を契機に質的に大きく転換します。91年にソ連が崩壊したことで北海道の防衛の重圧は少し楽になりますが、北朝鮮が核兵器をつくり始めたことでアメリカは北朝鮮に圧力を強めます。この時アメリカの大統領はビル・クリントンでしたが、彼は北が暴発したら戦争になる、朝鮮戦争をもう一度やるかもしれない、と日本に通告してきました。 この時の日本の首相は小渕恵三さんでした。この時、小渕首相は、私たちは戦争には参加できない。アメリカが書いた憲法９条があるのだから。ただし私たちは米軍の後方支援は手伝ってもいい、と考えられました。こうしてできたのが１９９９年５月の重要影響事態安全確保法です。結局、朝鮮半島有事には至りませんでしたが、その後、残念ながら、北朝鮮は中国の支援で米国の制裁を生き延び、核兵器の開発に邁進することになります。 次の大きな変化は、第二次安倍政権のもとで２０１５年の安保関連法が成立して、集団的自衛権の行使が可能になったことです。後方支援よりも踏み込んだ協力のあり方を模索したのが安倍総理でした。後方支援は十分な抑止力にはなりません。それならば、同盟国が攻撃に晒されるときには、日本が初めから参戦すると明らかにしたほうが、よほど抑止力が増す。これが集団的自衛権を認めた政府の考え方です。いま私たちには、台湾有事に際して、①米軍に基地を貸す、②米軍の後方支援をする、それから最後に③集団的自衛権を行使して参戦する──この三つのオプションがあります。法律的に仕組みは整いました。 次の問題は、実際に戦争になったら具体的にどう戦争するのかということです。どういうかたちで関わるにせよ、アメリカ軍は日本の基地から飛び立って敵を爆撃していきます。次の軍事的な問題は、どのようにして日本本土を守るのか、ということになります。中国は本土から台湾をどんどん攻撃します。アメリカは空母、それから日本やフィリピンなどの同盟国から出撃して攻撃します。このときに私たち日本人は、中国に向かって「まさか日本の本土に撃ち込むことはないですよね」「撃ち込んだら撃ち返しますよ」と言えなければなりません。当然、日本が反撃する力を持っていなかったらやられ放題です。 中国から見れば、在日米軍基地と自衛隊基地を叩き潰せばアメリカはもう戦えませんから、最初にそこを叩くという戦略はあり得ます。そうなると日本の自衛隊24万人がフルに立ち上がるので、決して賢い選択ではありません。やはり台湾に集中したほうが楽です。実際に台湾有事になれば、日本国内では「どうするんだ」という与野党の議論が延々と続くでしょうから、中国からすれば、日本が本気になる前に素早く台湾を叩くのが正しいのだと思います。 けれども、軍人のなかには山本五十六みたいな人が必ずいるんです。優れた軍人であれば、「どうせ日本は出てくるのだろう。だったら最初に思い切り叩いたほうがいい」と考えるわけです。そのときに「日本に撃ったら撃ち返す」と言えないと、一方的にやられてしまう。 日米の穴は中距離ミサイル 今、国産の反撃力（中距離ミサイル）が大量に製造されるまでの間、米国製の巡航ミサイルトマホークを４００発購入することになっています。その是非をめぐって国会で議論がなされています。野党の議員は「４００発も買う必要があるのか」とおっしゃいますが、トマホーク４００発なんて数時間しか持ちません。鬼に豆鉄砲です。開戦のときには、通常はミサイルを１万発くらい撃つんです。４００発だけでは戦争は止めることはできないんです。中国に対日攻撃を止めさせようと思ったら、中国が持っている２０００発の対日攻撃用ミサイルと同じ数か、それ以上の数が必要になります。 もちろん抑止力は、日米のトータルで考えます。アメリカには核ミサイル、空母、爆撃機があって、自衛隊もいろいろなものを持っています。日米両国のエスカレーションの階段が稠密であり、中国が何をやってもやり返せることが重要です。強いものが弱いものを抑止するのです。その逆はありません。この階段に抜けがあることは許されません。ダムに入ったヒビのように、そこから抑止が壊れます。 けれども、日米同盟には抜けているところが一つあります。それが中距離ミサイルです。中国はこれをいっぱい持っていますが、アメリカも日本も持っていないんですね。日本は平和国家ですから「中距離ミサイルは持たない」と頑張って言い続けていました。ですから、射程２００キロメートルのミサイルしか持っていませんでした。東京から熱海の距離です。それでは抑止力になりません。そもそも国民の命を犠牲にして守る平和主義などないのです。 サイルをたくさん持っていますが、日本だけ持っていなかった。それで安倍総理の時に配備を決めたのがＦ15戦闘機に搭載するＪＡＳＳＭ（Joint Air-to-Surface Standoff Missile：統合空対地スタンドオフミサイル）で、これは射程１０００キロメートルです。それからＦ35に積めるＪＳＭ（Joint Strike Missile）という５００キロメートルも導入しています。 安倍政権のときはこれらのミサイルの導入はまだシンボリックだったんです。実際に抑止力を持つということは１０００発撃ったら２０００発撃ち返す、２０００発撃ったら３０００発撃つという反撃力を持つことです。それがなければ、そこに穴が開いていると中国は見るわけです。抑止が崩壊します。いま岸田政権で本格的な反撃力の保有に踏み切ったことは、私は正しい決断だと思っています。 脆弱な日本のサイバーセキュリティ もう一つの課題は、サイバーセキュリティが脆弱なことです。官邸には今ＮＩＳＣ（内閣サイバーセキュリティセンター）という組織があります。ここには１００人の人材がいますが、すごく優秀な組織です。東京オリンピック・パラリンピックをサイバーテロから守る役割を担ったのもここでした。明確な目標があるとたいへんな力を発揮しますが、戦争用の組織ではありません。中国のサイバー軍は１万人いますから、有事の際には歯が立ちません。 かつての戦争は、軍艦や飛行機での海戦、空戦から始まって、勝ったほうの軍隊が、敵地に着上陸する前に敵の地上軍基地に大空襲を仕掛けます。この時、継戦能力の要となる重要インフラが一緒に攻撃されるわけです。このような戦略的空爆を実施するには大空軍が必要です。ところが、今ではサイバーとミサイルで簡単に重要インフラが狙えます。サイバー攻撃で電気と通信が止められ、ミサイル攻撃で石油備蓄タンクが破壊され、シーレーンを妨害してタンカーが通れなくなったら、それで当方の戦闘能力は著しく失われます。そうなると、戦う前に負けてしまうことになる。 経済安全保障法制が進むなかで、抜本的サイバーセキュリティの強化は手付かずでしたが、２０２２年に自衛隊サイバー防衛隊が立ち上がりました。警察も犯罪対策用のサイバーチームを持っています。いずれも規模はアメリカや中国のサイバー軍と比較すると非常に小さいのですが、これからさらに拡張されていくのだと思います。 サイバーセキュリティを強化するには、まずはスーパーコンピューターが必要になります。日本中にセンサーを置いて、スパコンのなかに日本で流れているデータを一度すべて入れます。そして、その中からウイルスをはじき出すわけです。そのウイルスを追いかけることで、どこの誰がやっているのかがわかる。最終的には「北京のサイバー軍の◯×大佐だな」とわかるんです。これをアトリビューション（行為帰属）と言います。日本の民間企業でもかなりのところまで追跡できると聞いています。 ここまでは民間がやっても構わないんです。ここから先は、敵の暗号を破り、コンピューターに入ってゆき、相手に「ウイルスを送っていることはわかっているぞ！ いい加減にしろ！」と警告を与えます。敵軍の暗号解読は通常、軍にしか権限がありません。軍には暗号解読の権限があります。敵軍に通信の自由を保障する必要はありません。お互い日々、暗号を解き合っていて、解読されて侵入されるほうが悪いんです。侵入すると、相手のパソコン内部が見えるので、敵から情報を持って帰ります。これを「ハックバック」と呼んでいます。サイバー・インテリジェンス（諜報）ですね。最近のインテリジェンス情報の半分以上は、もうサイバー経由で入ってきていると言われています。日本はこれをやらないので、やられっぱなしです。 日本がこれからやらなければならないのは、自衛隊にかけている規制（他人のコンピューターに侵入を禁じる規定）を解除することです。具体的には不正アクセス防止法、不正指令電磁記録罪、電波法、電気通信法などの適用対象から自衛隊を外さなければなりません。軍隊同士は暗号を破るのが仕事なのに、それを禁止するおかしな国は他にはありません。中国の人民解放軍をなぜ日本国憲法の通信の自由で守る必要があるのか。これは世界基準で見ると恥ずかしいくらいの特殊な状況ですから、一刻も早く対処するようお願いしています。 サイバーセキュリティを本格的に担うためにはハッカー５０００人、データベースを管理する電気技師１万５０００人規模の人材が必要になります。次に首相官邸にサイバーセキュリティ局を設けることです。自衛隊法上、自衛隊を守れるのは自衛隊だけです。政府と重要インフラを守らせようと思えば、自衛隊には別途権限を与えないといけません。そのためには官邸の指示が自衛隊に下りるような指揮命令体系を整備する必要があります。官邸に内閣官房サイバーセキュリティ局をつくり、その下に兼務するかたちで自衛隊を入れればいいのです。そうすると彼らは、総理の命令で重要インフラや政府を守れるようになります。 内閣官房にある内閣衛星情報センターは、形式上は政府の内閣情報調査室の下にぶら下がっています。政府の仕事として情報衛星を回していますが、そこにいる人たちのほとんどは自衛官です。彼らもダブルハット（兼務）なんです。サイバーセキュリティセンターも同じような組織のあり方であることが望ましいと考えています。 政府クラウドとクリアランスシステム それから、政府クラウドをつくらなければなりません。日本政府、自衛隊、防衛産業、電気通信産業の情報を入れるクラウドです。そこに人工知能を用いた優れた検索エンジンをつければ、政府業務の情報処理が高速で可能となります。そうなると情報を政府部内で自在に検索できるので、政府の仕事の効率がすごく上がります。我が国の主要官庁は縦割り意識がすさまじく強いので、なかなか情報共有がうまくいかないのですが、政府クラウドをつくれば解決します。ちなみにアメリカの政府クラウド内にある情報は閲覧のみです。入ってもダウンロードや印刷は禁止です。ハードディスクもありません。スイッチを切ったら、閲覧した箇所の履歴もすべて消去される仕組みになっています。それでクラウドを守っているわけです。 政府クラウドは、全体を強力なファイアウォールで守る必要があります。日本政府には未だに政府クラウドがなく、各省庁の官僚はセキュリティの弱い自分のコンピューターにデータを入れているので、敵からすれば情報を取り放題です。また、この政府クラウドが敵の攻撃でダウンする時に備えて、バックアップするためのクラウドコンピューティングサービスが必要です。ウクライナはその場所として、アマゾンウェブサービスを使っているから、ロシアからのサイバー攻撃から守ることができているわけです。 政府クラウドをつくったら、今度はクリアランスシステムが要ります。ファイアウォールは内部の人間には無力です。スノーデンのように内部の人間が情報を漏らさないようにする必要がある。機密情報を扱うわけですから、政府職員のみならず政府クラウドを使用する民間人を含め、秘密情報を取り扱うための資格を審査しなければならない。これがクリアランスです。 審査に際しては、家族も含めた預金通帳とパスポートをチェックします。ロシアや中国や北朝鮮からお金をもらっていないかということや、外国政府に忠誠を誓っていないことを調査するわけです。それらの国に旅行などで頻繁に訪れていないこともポイントになります。下のほうの職員はそんなに厳しくチェックしませんが、幹部は詳しく調べられることになります。アメリカでは、高位のインテリジェンスオフィサーは、半年くらいかけて徹底的に調べています。冷戦時代には、本当にＫＧＢのスパイがＦＢＩやＣＩＡの高官を握っていたこともあったので、部内の人間の裏切りは本当に怖いわけです。 クリアランスの効用は秘密保全だけではありません。クリアランスを得ると、世界の防衛産業から仲間として認められます。これがなければ、いかに日本を代表する企業であろうとも、世界の防衛産業の集まりには入れてもらえません。「クリアランスはお持ちですか？」と聞かれて「ありません」と答えると、秘密保全資格がないと判断されるからです。日本には、政府が民間企業を含めて秘密保全を管理するシステムがないので、どんなに優秀な日本企業でも、世界の防衛産業界では仲間扱いされないのです。 政府クラウドができて、防衛産業もそのなかに入り、防衛産業の企業社員に政府からクリアランスがわたされるようになると、次にやることは防衛産業機密保護協定の締結です。今はこれがありませんが、これができると日本企業は、西側企業との共同開発に容易に参加できるようになります。ここまで持っていかなければなりませんが、今はまだ１合目に到達したという段階です。クリアランス制度導入には、内閣府がリーダーシップをとっていますが、ぜひ頑張ってやってほしいと思っています。 それから宇宙です。時間がないので深入りできませんが、航空自衛隊は令和９年から「航空宇宙自衛隊」に名前が変わることになっています。いま航空自衛隊の主力は宇宙に移りつつあって、米中ロがしのぎを削っている宇宙戦にやっと足を踏み入れてきたところです。 軍事技術の研究に予算を回すべき 最後に、安全保障の観点から見た産業政策と科学政策についても少し触れておきます。日本は敗戦国ですからＧＨＱから「軍事研究は絶対にやるな」と釘を刺されていました。学会も軍事には協力しないという方針が戦後ずっと続いています。それから、企業の経営者の方々も軍事産業に手を出すのは対外的なイメージが悪いという雰囲気が根強くあります。この敗戦国としての心の傷跡が、日本の大きな弱点だと私は思っています。 学者や企業の技術者のなかには、国家安全保障に関わりたいという人もたくさんおられます。ただし、この人たちに予算を回す仕組みがないんです。日本政府の科学技術予算は４兆円です。民間の研究開発予算が16兆円なので、民間の４分の１を政府が払っています。この大半が学術の世界に流れていくのですが、日本学術会議は「絶対に軍事的なことはやらない」と言い張っている。安全保障の観点からすれば、４兆円がムダになってしまっている。 だったら大学ではなく、アメリカのように民間企業の優れたラボに、防衛省から巨額の資金を流して、安全保障関連技術の委託研究をやってもらえばいいではないか、という考え方もあります。けれども先ほどもお話ししましたが、防衛省は政府の４兆円の科学技術予算のうち、１６００億円しか予算をもらっていない（２０２２年）。異常に少ない金額です。防衛省は、民間の一企業より研究開発のお金がないんです。だから日本はダメなんです。 アメリカは20兆円の政府の科学技術予算があって、国防省、エネルギー省には10兆円が回ります。それがいろいろなところに落ちていき。国立の優れた研究所がたくさんあるし、大学にも幅広く予算がつく。それから企業にも委託研究費として予算が下りていきます。スタートアップにも惜しみなく資金を出します。国家安全保障のための技術開発ですから、ハイスペック、ハイリスクは当たり前です。「失敗しても構わない」と言われるんです。最初からリスクが極めて高く難しいことをやらせるわけです。新しいイノベーションはそういう分野から生まれてきます。 この安全保障目的のための民間企業への研究委託は、民間企業の研究開発のリスクとコストを大幅に低減します。この資金投与は、市場を歪曲する補助金とは言われません。そもそもマーケットがない非常に高い技術水準の研究開発を求めているからです。この安全保障目的の研究開発のための研究委託という資金の流れが、日本にはありません。世界中どこでもあるのに、日本にだけないのです。これも敗戦国の日本の脊椎に入った傷跡の一つです。 これは事実上補助金です。今回やっと防衛産業強化法案が出て、開発を含めて少しテコ入れをするようになってきました。防衛省が主体となって、巨額の安全保障関連技術を推進するための予算を取り、民間の優秀なラボに研究を委託する、そこにやる気のある国立研究所や大学の研究者も呼ぶ。そうしていかないと、私は日本の防衛産業の復活どころか、産業技術の失地回復もないと思っています。 今では、防衛産業がもう一流企業の隅っこのほうに追いやられていますが、民生技術部門を含めれば優秀な人材はたくさんいるし、ものすごい技術もいっぱいあります。政府が資金提供して開発リスクを低減し、日本が持っている技術力をきちんと活かしていけば、日本の防衛産業は十分に生き返ると思いますし、そこからスピンオフして産業技術も伸びると思うのです。 防衛産業の抜本的強化のためには、防衛産業の再編が必要になります。今のＮＳＣ（国家安全保障会議）の前身は、中曽根康弘総理がつくられた安全保障会議ですが、中曽根総理は、安全保障会議の法定任務として防衛産業再編大綱の策定を指示されています。なんと、もう40年間もさぼっているわけです。実際のところ、防衛産業にお金は回らず青息吐息でしたから、再編どころではなかったのです。けれども、今後５年で43兆円の防衛予算が付くことが決定されました。今度こそ防衛産業の本格的な再編と軍需産業の再興を実行すべきです。今はいろいろなところに散らばっている産業を糾合して、２社ぐらいにまとめることをまずは考えるべきだと思っています。 ◆意見交換 日米韓の関係強化が中国に与える影響 山角 日米韓の安全保障面での関係強化が中国に与える影響についてお伺いします。日韓は歴史問題を始めとして、いろいろなところで関係を悪化させてしまうことが続いてきました。けれども現在の東アジアの安全保障環境に鑑み、日韓が今の状態にあることは非常に問題、と指摘する向きがあります。韓国の尹錫悦大統領はいわゆる労働者問題の解決にとても前向きな姿勢を示していて、日本政府もそれを評価するかたちで落ち着いており、日韓関係が明らかに改善している状態です。背景には北朝鮮への一種の抑止力を強めたいとの文脈があるのか、と私は受け止めていましたが、中国の報道官が日韓の動きに牽制的な反応をしていることも気になっています。日韓外交関係の改善が果たして台湾侵攻に対して抑止力になり得るのか。もしくはかえって中国を刺激してしまうこともあるのか。日米韓の安全保障面での関係が強化されることについて中国はどのように見ているのでしょうか。 中国が日韓関係の改善に反発するのは当然 兼原 安全保障は相手を刺激するかどうかを心配するよりも、日本の安全のために何をやらなくてはいけないのかを考えることが大切です。相手が何をやろうと、新しいことをやれば反発します。それを気にしていては、自分の国が守れません。私たちが自らの安全保障のために何ができるのかを考えることが大事です。 まず外交ですが、韓国はとても重要です。アメリカからすれば、東アジア地域で一番頼りにできるのは日本ですが、台頭する中国を相手にして、日米だけではとてもやっていけません。そうするとやはり韓国の存在は大きいんですね。韓国の経済はすでにロシアやカナダと同規模ですから、大きさだけ見れば、もうＧ７に入れるサイズなんですよね。人口は５０００万人程度ですが、軍隊は何と60万人です。日本の陸上自衛隊が15万人くらいですから、その４倍にもなる。海上自衛隊に、追い付け追い越せで、韓国の海軍も最近どんどん大きくなっています。 アメリカからすれば、「韓国もやっと元服したな」と若武者の様に見ていますから、北朝鮮だけではなくて、そろそろ台湾有事においても責任を果たしてほしいと期待しています。それで昨年バイデン大統領と菅義偉前首相との首脳会談の後に、文在寅・バイデン会談が実現した時、史上初めて米韓共同声明に「台湾海峡の平和と安定」という文言が入りました。この時、文在寅大統領の青瓦台は「え？」という戸惑った感じでしたが、これが尹錫悦大統領の保守政権に代わると戦略的方向性が合ってきます。韓国は、北朝鮮と対峙することに軍事的リソースの大部分を割いていますが、そろそろ台湾海峡などの地域安全保障でアメリカにも付き合う必要があると考え始めているようです。もう韓国も大国です。若い韓国人は、グローバル・コリアと言い始めました。朝鮮半島の外に韓国軍が出ていくのは初めてではありません。かつて朴正煕大統領時代には、ベトナム戦争に猛虎師団が投入されています。 中国が日韓関係の改善に反発するのは当然です。中国の朝鮮半島外交の目標は、北朝鮮の衛星国家化と韓国の中立化です。中国からすれば北朝鮮は実質的に属国だと思っていて絶対に手放しません。もともと朝鮮全体が中国の朝貢国でした。日清戦争以降、日本に事実上奪われ、それを毛沢東が朝鮮戦争で北半分を取り戻したわけです。中国は核兵器を持とうがなんだろうが、北朝鮮を支え抜きます。その上で韓国を中立化するのが中国の戦略ですから、韓国が日米側に近づけば近づくほど中国は反応します。 韓国は政権によって戦略的方向性が極端に変わる 韓国の問題は、政権によって戦略的方向性が極端に変わることです。能力的には経済力、軍事力ともにもうＧ７クラスですから、Ｇ７の仲間にしてあげればいいと思われるかもしれません。しかし韓国は、左派政権と右派政権で、戦略的方向性が１８０度変わるんです。尹錫悦政権の時にＧ７に入れて日米と組んでも、次の政権では反対を向く可能性がある。左派政権の時は、北朝鮮べったりの中国寄りの政権になりますから、情報が北朝鮮や中国にすべて流れてしまうかもしれません。これが怖いんです。 韓国には早く大人になってくれることを期待しますが、なかなか大国として成熟しないところがあります。韓国は日本の70年代、つまり団塊世代が活躍した時代の日本によく似ています。政府系の左派労組である民主労総（全国民主労働組合総連盟）がミリタントで、すごく力を持っている。日本で言えば、昔の日本労働組合総評議会（総評）や今の自治労、日教組ですね。今の日本の野党で言えば、国民民主系の労働組合は政権与党の施策にも理解があります。民間企業の労働組合は会社が潰れてしまえば、元も子もないですからね。けれども、立憲民主党系の政府系の労組は理念的で現実離れしていますよね。政府は潰れないから、ミリタントになれるのです。日韓共に同じ現象です。 また韓国左派の構成は、日本と同じで労働組合と元学生運動家です。日本の学生運動家の主体は全学連、全共闘の世代で、彼らも今では70代、80代ですから、日本では全員が後期高齢者になりつつある。ところが、韓国左翼の学生運動家たちは、１９８７年の民主化の時に学生運動をしていた人たちですから、まだまだ若い。韓国では「３８６世代」と呼ばれたりします。日本の団塊世代の左翼とよく似ていますが、彼らのほうが圧倒的に若くて、まだ40代50代です。日本とは20年ぐらい左翼世代がズレるんです。 日本社会党は韓国の民主化以前はずっと北朝鮮を応援していましたが、87年の民主化以降、強い勢いを持った韓国左翼が生まれると、協力関係に入ります。旭日旗、徴用工、慰安婦など、日韓関係で問題になったものは、ことごとく、日本では一旦決着がついた問題です。それを日本の左派が韓国の左派に情報を渡して闘争を引き継いでいる面があります。「後は頼んだぞ」という感じで資料が渡されて、今度は韓国発で歴史問題に火がついてしまう。韓国左派は、歴史問題を韓国保守の攻撃材料として用い、北朝鮮支持、帝国主義反対というイデオロギー的な立場から、日韓関係の悪化を狙うのです。このダイナミズムが見えないと、日韓間の歴史問題が理解できません。 ３８６世代の人たちはイデオロギー性がすごく強くて、一言で言うと反米、反日、反帝国主義です。これは彼らのアイデンティティですから簡単に変わることはありません。けれども、今30代以降の韓国人はずいぶん違います。グローバル・コリアを代表する彼らは、アメリカのリベラルと相性がいい考え方をします。彼らと先行世代の40代50代とは分断されています。３８６世代は反米意識が根底にあるので、「こっちにおいで」と手招きされるとフラフラと中国に寄ってしまうんですね。ただし、アメリカは絶対に韓国を西側に引き込むと決めているので、日韓両国に対して日韓関係を改善するようにと圧力をかけてきます。特に安全保障関係者は、「歴史問題など関係ない。中国の台頭を前に身内でもめている時間はない。いつまでももめていないで何とかしてくれ」とすごい勢いです。 日本も、そこはよくわかっています。韓国の戦略的重要性は自明のことがらです。だからこそ、韓国左翼の人たちには、何度もゴールポストを動かして、歴史問題を蒸し返すことは止めてほしいのですが、左派が政権を取るとなかなかうまくいかないですね。ですので、韓国が保守政権の時に可能な限り関係を改善しておくのが、基本方針になるのだと思います。けれども、またいつ左派政権にひっくり返るかわからないということも常に意識しておく必要があります。日韓の歴史問題が終わるのは、おそらく20年後です。韓国の世代交代が終わった後のことだと思います。 ヨーロッパと日本の関係 阿部 日本のウクライナへの支援は、台湾有事の際にヨーロッパを日本に引き込む意味でも、中国への牽制の意味でも非常に大事になってくると思っています。報道等を見ても、やはり中国はウクライナに侵攻したロシアが国際的にどのように受け止められているのかを非常に気にしていることが伺えます。ＮＡＴＯの事務所が日本にできたこともあり、ヨーロッパと日本の関係はより深まっていると感じていますが、今後の日本はいかに立ち振る舞うべきなのかご教示いただければ幸いです。 ユーラシア大陸の西と東は一体 兼原 冷戦期間中はヨーロッパやＮＡＴＯとは、安全保障上の関係がほとんどありませんでしたが、今はアメリカからの支援もあって、関係を強化しようとしています。中国が軍事的に台頭し、ロシアがウクライナに侵攻しているなかで、いま中ロが一層接近し始めている。アメリカはヨーロッパ、北東アジアとユーラシア大陸の東西両端を見なければなりませんから、日本とＮＡＴＯの関係が深まることで、負担がいくらかでも軽減されることを歓迎するのだと思います。 ＮＡＴＯはすごく強大な軍事組織ですから、日本と関係を深めることは、日本にとって十分に意味があります。中国に対しても良いシグナルになります。また、アメリカという国は、一国では絶対に戦争はしません。やる時にはなるべくたくさんの国を集めて連合国をつくるのがアメリカ流です。コスタリカやルクセンブルクのような小国にも連合国に加わってもらおうとします。東アジアで有事が起きた際に備えて、ＮＡＴＯにも声をかけておきたいとアメリカは考えているのだと思います。ただし、これは外交的な接近なので、実際に戦争が始まった時に、ＮＡＴＯからどこまで軍事的支援があるかはわかりません。まだそこまで関係は成熟していないと思います。 ＮＡＴＯは北大西洋条約機構ですから、地理的な責任領域がはっきりと決まっています。だから本来、台湾や北朝鮮のような太平洋のことには関係がない。ただしサイバーには国境がないので、ＮＡＴＯと協力してやっていけばいいのだと思います。ヨーロッパは確かに遠いのですが、ロシアは東西にまたがっているし、東アジアで大型の有事が起きれば、それはヨーロッパにも影響がおよぶということを、今は一生懸命に言い続けるべきだと思います。私たちがウクライナを一生懸命支援しているのは、「ユーラシア大陸の西と東は一体だ」というメッセージを送るためでもあります。ここは努力しないといけないと思います。 グローバル企業は抑止力として機能するか？ 温湯 私たちの会社は世界中で自動車を製造し販売する事業を展開していますが、今後もグローバル企業であり続け、より成長したいと考えています。けれども今の米中のように民主主義陣営と権威主義陣営が対立し世界が分断されてしまう事態になると、グローバル社会の構造自体が企業にとってはリスクになってしまいます。私たちはグローバル企業として、これからも地域や国に偏ることなく、これまでの経験を通じて培ってきた価値観のなかで企業活動をしていきたいと思っています。そこで質問です。グローバル企業の存在自体が〝抑止力〟として機能することも期待しているのですが、このあたり先生はどのように見ていらっしゃいますでしょうか。 安全保障の世界が安定していることが前提 兼原 マーケットの世界は、安保とは違う論理で動いています。一番いい製品を一番安くつくれる企業に利益が集まっていくのがマーケットの基本なので、企業体はすべてその原則に従って動くわけです。グローバルエコノミーの世界では、80年代以降はそれが正解だとされてきました。それが世界全体の経済効率を上げて、人類を豊かにすることに貢献してきたわけです。 ただし、それは安全保障の世界が安定していることが前提です。その安定は、戦争、大災害、それからパンデミックなどによっても崩れてしまうことがある。マーケットは、フワッと広がっているエコシステムなので、地政学的な物理的土台が揺れると、それはやっぱり響くわけですよね。そこは自分たちでガードするしかない。 今の世界を考えると、ロシアはもう侵略戦争をしていますから、そこで製品をつくったり商売したりすることは止めるべきだという話になります。問題は中国です。中国はまだ平時ですから、外交が軍事に優先します。貿易によって相互に依存している状態を守るべきだという考え方は当然あります。私たちは自由貿易自体がいいことだという発想を持っていますが、中国が問題なのは、自分たちが得するかどうかで勝手に貿易を止めたりしてもかまわないと考えていることです。そこは我々とはちょっと発想が違っています。そういうことではダメだ、と理解してもらう必要があって、我々はルールを守るべきだと警告しているのですが、もう大きくなったので、なかなかこちらの言うことを聞かないんですね。 共産党指導部は、中国の歴代王朝がそうであったように、周辺国との貿易を朝貢関係のように捉えている節があります。元々朝貢は、中国皇帝の恩恵なんです。だから、自分たちの都合で平気で貿易関係を切ってくるわけです。そうではなくて、この自由貿易のシステム全体が大事であることを彼らはなかなか納得しません。王滬寧（全国政治協商会議主席）のような経済に精通した人は理解していると思いますが、おそらく習近平はまったくわかっていないのだと思います。だからブチッと切ってしまうことがある。 中国は国力がピークを越えつつあるとは言っても、まだ２、３％成長が続いていきます。日本の３倍の大きさの経済が年率３％伸びたら日本で言えば９％成長です。米フォード社の幹部と話をしたことがありましたが、中国から引く気はないと言っていました。中国の工場では２万８０００人くらいの人を雇っているそうです。現地で自動車を生産したほうが安いに決まっていますから、他所でつくって中国に輸出することはまったく得策ではありません。ただし情報の管理は徹底していて、技術が盗まれないようにいろいろな工夫をしているそうです。 アメリカ政府も中国で自動車を製造することをダメだとは言っていません。禁止しているのは、軍事に関わるところだけなんです。最先端半導体がそうです。最先端半導体は中国に使わせるわけにはいきません。中国は、台湾で戦争を起こすかもしれませんし、そうなると中国軍が強くなっていると困るからです。中国が自力で最先端半導体をつくれるようになれば仕方がありませんが、西側から輸入したり、西側の機械を使って最先端半導体をつくったり、西側の技術を模倣したり、窃取したりされては困るということです。アメリカの企業ははっきりとした理由がなければ、政府の言うことなんて聞きません。しかし、「戦争になったら、輸出した半導体で米兵が死ぬのだから、半導体輸出はやめてくれ」という政府の要請はわかるわけです。そこは企業も付き合わなければなりません。 戦争の世界は単純で、勝つか負けるかだけです。敵が有利になることをやらせないのが戦争の世界です。基本的に敵がすごく有利になる製品などは禁制品として取引が禁じられます。もちろん中立国や民間企業は自由に輸出して構わないし、中立国政府にはそれを止める義務はありません。ただし、敵を勝たせることになる製品を輸出するとなると、交戦国から公海上で臨検され、没収されます。それが禁制品です。半導体は禁制品の扱いに近くなってきて今はあくまで平時ですが、「中国に渡すな」と言われているわけです。ここは付き合わなければ痛い目に遭います。敵の味方であることを疑われて「エンティティリスト（米国商務省産業安全保障局が発行している貿易上の取引制限リスト）」に載せられれば、企業としてはたいへんです。米国市場から締め出されかねません。 けれども、半導体のような製品でなければ関係ないんですよ。普通の製品なら、儲かったほうがいい。フォードもテスラもアップルもみんな中国に工場があります。そこをよく見ておく必要があります。実際に機微技術の輸出を止めるのは商務省の仕事です。ペンタゴンですら「止めろ」と一般論を言うだけですが、商務省は、どの会社のどの技術を何年間止めるかまで決めなければなりません。下手なことを言うと裁判になって負けることになりますから、きちんとした理由が要ります。アメリカは典型的な民主主義国家ですから、結構、判断もぶれるでしょう。外の私たちとしてはそこもきちんと見ていかなくてはなりませんが、トヨタなどの自動車は問題がないと思います。完全にＥＶ（電気自動車）の時代になって、モビリティをＡＩがすべて管理するようになってくると、ちょっと事情が変わってくるかもしれませんが、今はまだ大丈夫でしょう。 話は大きくなりますが、仮に中台戦争が始まることになれば、いろいろな事態を想定しておく必要があります。在中資産が凍結されることはあり得ます。それから、従業員の退避も大きな問題になります。特に邦人退避の観点からは、在台湾のビジネスマンのほうが怖いと思います。台湾周辺は一斉に封鎖されて機雷が撒かれますから、帰れなくなるかもしれません。中国にいる駐在員のほうは、中国政府が足止めすれば別ですが、そうでなければバンコクやソウルなどの第三国経由で帰ってくればいい。台湾の在留邦人のほうを早く帰さなければ、ある時期を境にして帰国できなくなる可能性はあります。台湾に進出している企業は、このことは頭に入れておいて欲しいと思います。 防衛産業の再復興に向けて 松井 岸田政権は防衛産業の再編あるいは再構築に向けて突き進んでいるというお話がありました。再復興にはどのくらいの期間をイメージされているのでしょうか？ 先生の見立てをお聞かせください。 また今の日本の若い世代についてはどのような印象をお持ちでしょうか。先ほど韓国の40代50代はリベラル層が多いとありましたが、日本の20代30代についてどのような見方をされていますでしょうか。 おかしな規制を早く取り払うべき 兼原 防衛産業の再編は、可能な限り早く行うことをめざすべきです。５年間で43兆円を投入することが決まっているので、この間にできる限り進めることが大事です。安倍政権の時は中国が強大化していきましたから、我々は「これではダメだ。もっと防衛予算を増やすべきだ」とずっと主張してきました。安倍総理は、補正予算をかませて約１兆円、20パーセントの防衛費増額を実現されました。しかし、中国の軍拡のスピードはすさまじく、すでに日本の５倍の軍事費です。対中抑止という観点からは、十分な成果を上げることはできずに終わりました。私たちの次のチームが頑張って岸田総理を説得して、今回の防衛費倍増、ＧＤＰ比２パーセント達成の決定につながったわけです。 安倍総理がすごかったのは、消費税を２回上げて、税率を５％から10％に引き上げたことです。５％上げると税収は10兆円以上増えますから、財務省も大喜びです。それで防衛費は年間少しずつ上げていき、在任中に１兆円の増額を可能としたわけです。岸田政権は、これにさらに５兆円を上乗せするつもりです。これが実現すれば、５年後には防衛費が11兆円という金額になります。これはロシアを抜く規模です。今は戦時中なのでロシアの軍事費は大きく膨らんでいますが、平時であれば本当に日本が世界第３位の軍事大国になります。 ところが、そのインパクトが肝心の防衛産業にはきちんと伝わっていないという問題があります。企業からすれば半信半疑で、「習近平が死んだら元に戻るのでしょ」などという懸念が聞こえてきます。長い間、防衛費削減に苦しめられ、青息吐息でしたから、新規設備投資へのリスク不安がどうしても残ります。ですから２０２７年までに防衛費を２倍にする目標を掲げて、政府が本腰を入れていることをきちんと示すことが大事になります。 今回の予算を用いて何をするかですが、27年までには自衛隊の足腰を鍛え直して、相当に強くしていかなければなりません。弾薬、弾薬庫、基地の強靭化、サイバー軍増強、宇宙軍増強と、課題は目白押しです。ただし日本は敗戦国なので、致命的でおかしな規制がたくさんかかっているんですよ。そこはなるべく迅速に改善しなければなりません。最大の問題は、科学技術政策、産業技術政策と、安全保障政策の乖離です。これは敗戦国日本の脊椎についた、未だ癒えない大きな傷跡です。 防衛の基盤は技術力です。これは極超音速ミサイルといった兵器に限定するような狭い意味ではなくて、量子、バイオ、素材、脳科学、３Ｄコンピューターなどのすべて民生、汎用技術が、防衛力につながっていきます。先ほども申し上げましたが、最先端の研究開発分野にはマーケットが追い付いていませんから、ここにこそ安全保障目的で、政府が巨額の技術開発予算を厚く投入すべきです。これは本来防衛省の仕事ですが、今まではそれが１６００億円でした。４兆円もの科学技術予算を抱えていながら、防衛省に雀の涙しか渡さない日本の科学技術予算の在り方は大きく間違っていると思います。 民間企業の方々から、「防衛省の研究開発費はウチより少ないんですか？」とよく驚かれます。今回は、防衛装備庁の予算が増えますから、民間の優秀な技術者やラボにどんどん委託研究をして、民間企業の民生部門にも資金が回っていくことが必要です。その予算を潤沢に使って、ぜひとも科学技術で最先端を走ってほしいと思います。そこで磨かれた技術が安全保障に貢献するだけではなく、スピンオフして民生技術としても普及していって、大きなビジネスにもつながるのが理想的です。 左傾化した学術界の抱き起しは難しいのですが、岸田総理は、学術界に対して、４兆円の正規の研究開発予算に加えて、２年間で５０００億円を上積みして、安全保障関係の研究をお願いしようという話になっています。岸田総理は、学術界に安全保障に貢献して欲しいと期待していますが、こちらはなかなか動かないですね。 それから出口として防衛装備の輸出も重要です。２０１５年に防衛装備庁をつくった時に、安倍政権でも輸出の奨励を一生懸命やったのですが、防衛産業側の反応は「何を言っている」とまったく芳しくなかった。それはそうですよ。あれだけ防衛省がけちけちと値切っていては、まったく儲からないわけです。「こんなことでは、もう日本では防衛関連の製造はできない」と言って、防衛産業を出ていった企業もありました。ただでさえＳＤＧｓやＣＳＲで株主総会がたいへんな時に、「さあ、生産を増やしましょう。輸出しましょう」と政府が音頭をとっても、防衛産業側は「そんなことを言ってる場合か」「もうやめたい」というのが本音でした。 けれども今回は岸田総理の勇断で、大きな防衛予算が付きましたから、防衛産業にもきちんと利益が出るはずです。防衛省もこれからは無理に値切ったりしないので、ラインを増やしてくださいとお願いしているところだと思います。今後は、防衛産業全体の強化という文脈のなかで、政府も一緒になって輸出に取り組むことが必要です。 韓国は日本の防衛装備庁を真似して同じような組織をつくりましたが、たった10年間では中国に次ぐアジア２位の兵器輸出国になっています。ポーランドに戦車を１０００台も輸出しています。韓国よりも日本のほうがはるかに良いものをつくれるわけですから、日本の防衛産業も、輸出に踏み込んでいくべきです。 なお、武器輸出三原則について、付言いたします。佐藤栄作総理が、武器輸出三原則として、次の三つの条件に当てはまる場合には武器を輸出しないと言っています。それは①共産圏諸国向けの場合、②国連決議により武器等の輸出が禁止されている国向けの場合、③国際紛争の当事国又はその恐れのある国向けの場合──です。つまり同盟国や味方には輸出すると言っていたんです。ところが三木武夫総理が「アメリカにも売るな」と言い出して、全面武器禁輸政策を打ち出してから話がおかしくなったんです。東側陣営に軸足を置いていた野党や左派は、三木総理の方針を応援しますので、以降ずっと全面禁輸政策に縛られてしまいました。しかし、安全保障の本義に戻れば、味方に輸出するのは当たり前です。敵に輸出することが悪なのです。今は青息吐息ですが、味方に輸出できるだけの力のある防衛産業に成長することを期待しています。防衛産業の方々には、是非、そちらに舵を切っていただきたいと思います。中国の軍拡はすごいスピードですから、タイムスパンは５年間です。そこで成果を出して欲しいですね。 日本の若い世代はたくましくなっている 私はいま同志社大学で20歳前後の学生たちに教えていますが、孫世代の彼らと接しているとびっくりさせられます。全然違う日本人ですよ。まずびっくりしたのは、大企業に入りたいという気持ちがあまりなくて、大きな会社に入ると使い潰されるという意識がありますね。同志社のような良い大学を出ても、未だに安い初任給でコピーを取らされて一生懸命勉強してきたノウハウはまったく活かされなくて、最初は全員が同じことをさせられる。 それでも会社が成長していくのなら、じっと我慢していればいいですが、もう先のことはよくわかりませんからね。「40歳ぐらいで会社がおかしくなってリストラされたら、自分は産業廃棄物みたいじゃないか」と言っていた学生もいました。そうなるよりも自分で起業したいと考える。自分の力で生きて行きたいし、最初から自分の能力と努力に見合った正当な報酬が欲しいと考える。退職金なんてあてにできない、という感じでしょうか。 それから、政治家になりたいと考えている学生が結構多いことにもびっくりしました。私は「苦労するよ。親ガチャでお父さんが国会議員なら地盤があっていいけど、地盤と看板がないと政治家は有権者に認知されるまでがすごく大変だよ」と正直に言っているのですが（笑）、それでも教え子のなかに毎年２、３人は政治を志す学生がいます。とりあえず新聞記者になって政治を勉強し、いずれ出馬したいとか、先ずは自民党の県連で経験を積んでみたいという学生もいました。 彼らは自分たちの力で変えていかなければ、「この国はもうダメになる」と思っているんですよ。私の人生を振り返ってみると、前半部分は昭和の経済が成長する時代を生きてきて、残りの半分は、日本の国力が急降下した平成の時代でした。だからプラスマイナス半々だなと感じていますが、今の若い世代は日本が落ちるところしか見ていません。だから自分で這い上がらないと潰されると思っている。安定や成長を信じていません。私が若い頃は定期預金が年率５％でしたから、ずっと預けていると退職する時には１・５倍になっていた。今は「投資しろ」「ＮＩＳＡをやれ」と言われているようですが、投資するにしてもみんなアメリカのＳ＆Ｐ５００です。誰も日本の株は買わない。40年間のスパンで見れば、絶対そっちのほうが儲かると思っている。たくましい子たちですよね。その10年前はミレニアル世代ですが、リーマンショック後でしたから、彼らは徹底した安定志向で、地方公務員をめざす人が多かった。今はその世代とは違って、自分で生きていくしかないと思っています。すごく現実的ですよ。 それにイデオロギーはゼロです。だから、私たちの時代のイデオロギー闘争を説明してもあまりピンとこないんです。「昔は自民党と社会党が激突していた」と言っても、「この国に社会党があったんですか？」と聞いてくる。「土井たか子先生は同志社を卒業しているんだよ」と言っても「それ、誰ですか？」という世界ですからね（笑）。 私は１９５９年の生まれですが、10年上の世代には左翼がたくさんいました。彼らは石原慎太郎先生のような右翼的な政治家を敵対視して、とにかくガチャガチャと議論ばかりするのが大好きでした。自分たちが絶対正しいというイデオロギー的な出発点から議論してくるので、付いていけませんでした。我々はそういう上の世代が苦手で「私たちの世代に干渉しないでくれ」と心底思ったものです。日本は、高度経済成長と国民皆保険による福祉国家実現で、階級闘争史観もずいぶん廃れましたし、アメリカに対する終戦直後の反発も、ベトナム戦争終結や人種差別撤廃によって、アメリカ自身のイメージが変わり、どんどん収まっていきました。今の若者には、私たちに先行する世代の反米感情や、50年代まで共産主義や急進主義の影響力が日本国内でいかに強かったかという話をしても、理解できないと思います。 今の若者たちが関心を持っているのは、まずは中国の脅威です。それから積み上がった国の借金です。これを誰が払うのか。彼らはこれらを自分の問題だと思っている。私はあと10年もしたらこの国はガラッと変わると思います。彼らが私の歳になった時には、もう左翼の人たちもいませんから、さらに大きく変わっていくことになる。 尖閣諸島と竹島の現状 小嶋 ３点質問します。１点目は自衛隊員の拡充についてです。ミサイルの配備などハード面の強化が進められていることは報道されていますが、自衛隊員の数は十分に確保できているのでしょうか。防衛システムやサイバーセキュリティの強化などの課題に取り組むにしても、それを操縦する人間が重要です。これだけ少子高齢化が進んでいる今の日本では、人員の確保はますます難しくなっているのだと思いますが、この点はどうお考えでしょうか。 ２点目に尖閣諸島の現状と竹島の扱い方についてお聞かせ願います。この二つは同レベルで語ることはできないのだとは思いますが、先生のご見解をお聞かせください。 ３点目は北海道の安全保障上の位置付けについてお聞かせ願います。今は尖閣諸島に関心が集まっていますが、北の海域にもロシアや中国の船が行き来していますし、戦略的にも北海道の位置付けは重要ではないかと考えます。また安保の観点から見て、津軽海峡はどのような特徴があるのでしょうか。 目に見える脅威になっている 兼原 生まれてくる子どもの数が減っていますから、自衛隊の人員を大幅に拡充することはもうムリですね。今は陸自15万、海自５万、空自５万の25万弱の軍勢ですが、もう少しすると海自と空自はおそらく３万くらいになります。今でも志願して自衛隊に入ってくる若者はたくさんいますが、単純に子どもの総数が減っていますから、自衛隊の総数も減っていくことになります。 これからは無人化、省人化、女性自衛官の活用、予備役の活用が基本的な方向になります。事務職は退役自衛官でかまわないんです。今は世界中がそういう方向で動いています。先進国ではもう若者を戦場に送り込んで死なせるわけにはいかないんです。そのため戦場のドローン化が進んでいます。ドローンが主力になると、戦う人たちは遠く離れた北米大陸本土の地下から指令を出すことになります。これならば女性でも十分にやれますから、こうして省人化を徹底することだろうと思います。 次に尖閣です。２０１２年から中国の船が尖閣にやってくるようになりました。中国の海上保安庁にあたる組織は、海上警察（海警）ですが、当時は40隻くらいしかなかったんです。日本の海上保安庁は50隻ありましたから、胸を貸すくらいの余裕がありました。ところが、習近平は海警の船を一気に１３０隻まで増やしました。さらに海警のコントロールを海軍に移して、軍人が指揮をするようになったんです。海軍の訓練は厳しいですから、一気に整然とした動きができるまでに成長していきました。始めは、海上保安庁は「海警なんて取るに足らない」と鼻で笑っていましたが、目に見える脅威になっていきました。 安倍総理は、それを受けて海上保安庁も増強すると決めて、今は70隻くらいの巡視船があります。中国は１３０隻あるので数で負けていますが、中国は南シナ海に半分の勢力を持っていっているので、尖閣のある東シナ海では拮抗している状況です。 中国は大型の巡視船を出して、日本の巡視船にぶつけるようにして尖閣水域に入ってきますから、本当に危ないんです。それを海保の船が押し出すわけですが、中国はどんどん船を大きくしています。海警の一番大きい船は１万トンですから、イージス艦級の規模です。日本にも８０００トンの船がありますが、もう少し大きくしなければぶつかった時に沈められてしまいます。さらに中国は軍艦のフリゲート艦を白く塗装して、巡洋艦に見せかけるようなインチキを平気でやります。さらに中国は海警の船にはでかい大砲を積んでいます。日本は22ミリや36ミリですから警察が使うにふさわしい砲だけですが、中国は76ミリ砲です。76ミリの弾丸と言えば、１メートルくらいありますよ。大人でも両手で担いで運ぶような大きなものです。「戦争でもするつもりですか？」と聞きたくなります。 中国は、自分が尖閣に軍艦を出すと、日米安保条約に基づいて米軍が出てくることになるので、今のところ海警だけで押してきています。警察を武力行使の一環に使うのは、世界で中国だけです。グレーゾーンと言われますが、一等国のすることではありません。しかし、中国が海警で日本の主権を侵そうというのであれば、日本もそれには絶対に負けないように、海保を増強して拮抗させざるを得ないというのが今の状況です。もちろん、お互い海保と海警の後ろは、びっしりと自衛隊と中国軍が固めています。 韓国ナショナリズムのシンボルになった竹島 竹島はなかなか難しい状況になっています。日米安保条約は日本が実効支配している領土にしか適応されないので、終戦直後に掠め獲られてしまった竹島は、条約の対象外になります。竹島はずっと日本の領土でした。サンフランシスコ条約交渉の時に韓国は、アメリカに竹島は自分たちの領土であると主張しに行っています。この時、アメリカはそれを聞き入れなかったので、韓国は自力で獲りに行ったんですね。李承晩ラインという当時は国際法上不法な広大な漁業水域を勝手に引いて、韓国側に竹島を入れてしまった。この時はもちろん自衛隊もなかったので、あっさりやられてしまいました。当時、日本の漁民が銃撃あるいは拿捕されて、ずいぶん亡くなっています。 日本は、国際司法裁判所に訴えようと二度韓国に持ち掛けますが拒否されています。最初は、海上保安庁の船を竹島に出して韓国に抗議しますが、韓国は竹島をすぐに要塞化してしまったので、危険すぎてもう近づけないんです。 今、述べたように、初代韓国大統領の李承晩が勝手に李承晩ラインを引いて、竹島を韓国に組み入れたのですが、韓国の主張にはまったく根拠がありません。というよりも、韓国側が竹島領有の根拠をきちんと出してきたことはありません。朴正煕大統領に至っては、日本の協力がなければ北朝鮮と戦えないわけですから、竹島が日韓関係の棘になって迷惑だと感じていたようで、「竹島は爆破して沈めてしまえ」と言っていました。この発言は報道されています。李承晩のやったことを批難していたわけです。 ところが韓国が１９８７年に民主化する際に、竹島は、反日感情の混ざった韓国のナショナリズムのシンボルになります。日本からすれば、竹島は終戦のどさくさに掠め獲られたわけですが、当時の韓国世論は、竹島を奪い返したことにしてしまった。韓国は日本と戦って独立したわけではないので、それが独立後のコンプレックスになっています。「日本に勝った」と言いたいのです。「克日（クギル）」の欲求です。 普通なら他国の領土を奪ったら大人しくして、静かに軍事化するものです。ところが韓国は、竹島でコンサートをやったり、国会議員が大挙して押しかけたりして、騒ぎまくっている。「なぜ日本を刺激するのだ」と思いますが、韓国人にとって竹島は、「独立と領土を勝ち取った象徴」という特別な意味合いがあるわけです。もちろん事実ではありませんが、日本から独立した国として、そう思いたいのです。そう思うことによって、民主化後、もう一度自立したアイデンティティを構築しようとしているのです。 ただ、今の尹錫悦保守政権は、そうしたことはやらないと思います。そんなことをしている暇もありませんからね。ただし左派政権に戻ると、またぞろ反日のシンボルとしての竹島で騒ぐ可能性があります。 北海道は要塞 北海道防衛に関するご質問ですが、先ほども説明しましたが、冷戦時代に我々が心配したのはソ連だけでした。中国はまだ弱かったし、北朝鮮もそうです。仮に日本を攻めるとすると、ソ連の海軍力では大規模な兵員輸送を安全に行うことは難しいので、日本海や太平洋を大回りすると沈められる恐れがあります。やはり日本侵略の正攻法は、樺太南端に集結した部隊を出して、直近の稚内をターゲットにすることになる。稚内に上陸しても音威子府という峠を通らないと北海道のなかには入っていけないのですが、そこは自衛隊がガチガチに固めています。ここが勝負どころだと日ロ双方が想定していると思います。もちろんフェイントで札幌や釧路を狙ってくる可能性もあるので、一応は準備してあります。こうして北海道を要塞化したわけです。 今ロシアの脅威は格段に減っていますが、西側に敵対する中ロがつるむことは十分に警戒しなければなりません。台湾有事の際にロシアが一緒に攻めてくることはないでしょうが、北方で陽動作戦ぐらいやる可能性があります。ワーッと動いて見せるわけです。いま自衛隊の主力は南西方面に降ろしていますが、北海道は手を抜いていません。構えていないと、万が一にもロシアが入ってくるかもしれない。今でも自衛隊の訓練は圧倒的に北海道で行われています。最近では「道場」と呼ばれていて、ここでガンガン演習しています。それから弾薬庫も北海道に多いんです。南は島ばかりですから、演習できるところがあまりないんですね。けれども、本番の戦場は南になるぞという意識でいるのだと思います。 地図をご覧になればわかりますが、日本列島はユーラシア大陸を覆っているプレートの一番端っこにあります。日本海や東シナ海に蓋をするように位置していますから、中国もロシアも日本列島を突っ切らないと外には出られないんです。特にロシア軍がウラジオストクから出ようと思えば、宗谷、津軽、対馬西、対馬東のいずれかを通過しなければなりません。当然そこは日本がガチガチに固めているので、通る時はすごく怖いと思います。日本が沈めようと思えば、いつでもできるのでピリピリしているはずです。対馬海峡の反対側は韓国ですが、津軽海峡の両岸には日本の函館と青森があります。本当に無事にここを通過しようとすれば、軍事的には、この二つの街を攻め落として制圧しなければならない。さすがにそれはできないので、ロシアや中国からすれば、津軽海峡は有事の際には近寄ることすら難しいというイメージを持つのではないかと思います。 現代の同盟関係とは？ 北村 同盟という概念についてお伺いします。古今東西、さまざまな軍事的な意味での同盟が結ばれてきました。冷戦時代にはソ連や中国共産党を中心とした共産圏諸国が、いろいろな国の共産化の支援を明確にしていました。いわゆる西側の資本主義陣営は、それを断固阻止することを目的として同盟が生まれていった背景がありました。日米同盟やＮＡＴＯは、共産主義国を仮想敵としていたわけです。 けれども今ではワルシャワ条約機構はなくなったし、共産主義国家も革命を輸出するとは言わなくなった。共産主義を標榜しませんが、だからと言って専制主義を掲げて結び付きを深めようというわけでもない。そんななかでプーチンがウクライナを侵攻するようなことを始めたために、北欧諸国までがＮＡＴＯに参加するようになりました。ＮＡＴＯは拡大していますが、ロシアや中国が主導する同盟関係はあるのかどうか、拡大しているのかどうかわかりにくい状況になっている印象があります。今の同盟関係についてはどのようにお考えでしょうか？ アメリカは同盟網の構築に力を割く国 兼原 日本は大国中心主義的な発想をするので、大国こそが弱い国を助けるべきだと考えるところがあります。アメリカのような大国が、その責任を果たすべきだと。けれどもアメリカは、小さな国も含めて連合軍を組みたがります。国際社会の平和は全員で守るものだという発想です。日本が太平洋戦争に負けて、サンフランシスコ講和会議に行ったら、当時の国の数は50カ国くらいしかないのに47カ国の代表が集まっていました。共産圏以外の国はほとんどいました。日本からすれば交戦した記憶がない小さな国も含めて、全員がそこに座っていたわけです。アメリカが連れてきたんですね。これがアメリカのやり方です。 アメリカは同盟網の構築に力を割く国です。そのネットワークこそが自分たちの安心材料だと考えています。ＮＡＴＯや日米、米韓、米豪などの戦後の同盟網の多くはアメリカの産物だし、この仕組みはなかなか壊れないと思います。同盟にも主軸となる関係があってそれはやはり敵の近くにいる、すなわち前線の大国です。東アジアで言えば、日本、韓国、フィリピンです。大西洋ならＮＡＴＯ、冷戦中ならドイツ、今はポーランドということになる。 同盟には外交的な側面と軍事的な側面がありますが、同盟が生命力を持つ最大の条件は敵の存在です。ソ連の崩壊以降は、それが曖昧になっていました。９・11以降は「対テロ戦争」が敵になった。中東の砂漠が舞台になったわけです。アフガン戦争の時は、ＮＡＴＯ軍も出撃したわけです。けれどもイスラム国が潰れた時に対テロ戦争もだいたい終わったという感じになりました。 その時に中国が立ち上がった。習近平は、西側の価値観は共産主義独裁の敵だというような考え方を公に述べています。これは米国を激しく刺激します。それだけでなく、香港の自由の灯を吹き消し、ウイグル、モンゴルなどの少数民族の強制同化を苛烈に行っている。中国軍は、今アメリカが総力を挙げても簡単には勝てないくらいに強力ですが、お互いに核保有国ですから、米中は全面戦争にはならない。局地的にしか衝突しません。あり得るとすれば、台湾しかないんです。アメリカが本気で守る時には核の傘をバーンとかぶせて、自分の軍隊を前に出すんです。これが一番強い守り方で、これをやっているとまず大丈夫なんですね。台湾には核の傘も、駐留米軍もありません。アメリカの太平洋同盟網のなかで、一番弱い鎖が台湾です。だから怖いわけです。そういうわけで、いま台湾をめぐって日米同盟が再活性化しようとしている最中です。 ＮＡＴＯについては、冷戦終結後、敵の存在がずっと曖昧になっていましたが、プーチンのおかげで再び敵が明確になりました。アメリカからすれば、ヨーロッパとアジアの両方に関わるのはたいへんです。私たちは、早くウクライナ戦争が終わってくれないかなあと思っています。けれども、ロシアが潰れてウクライナ戦争が終わることはありません。ウクライナがロシア軍を押し返して終わるだけなので、プーチンはまたやろうとするかもしれない。だからＮＡＴＯは、ウクライナから手が引けないのです。 その上で台湾の安全保障を見なければならないので、アメリカはたいへんだと思います。岸田首相は日本の防衛力を２倍にしようとされていますが、それは、このような戦略環境を踏まえれば、選択ではなく、必然だと思います。日米同盟の総力で、中国に台湾の武力併合を思い留まらせねばなりません。日本が日米同盟の抑止力の穴になってはなりません。基本的に弱いものが強いものを抑止することはあり得ません。強いものが弱いものを抑止できます。中国を抑止するために、日米同盟の役割分担はどうあるべきか。日本はどういう防衛努力をするべきか。真剣に考えたほうが良いと思います。 （終） 2023年5月11日 ホテルメトロポリタンエドモント/リアルタイム配信 司会 公益産業研究調査会 専務理事 堀籠 節 セミナー出席者 藤森 誠(中国電力) ・阿部 雄介(四国電力) ・松井 宥典(北海道電力)・ 伊東 照恭(北陸電力) ・定岡 祐二(みずほ銀行) ・田村 匠(みずほ銀行) ・柴崎 晃(大和リース) ・児島 昇治( JFEスチール) ・松川 大輔( JFEスチール)・ 前田 誠( JFEスチール) ・小平 信因(トヨタ自動車)・温湯 達也(トヨタ自動車) ・野崎 絢子(トヨタ自動車) ・上條 英夫(トヨタ自動車) ・山角 洋之(三菱重工業) ・藤原 正彦(日揮) ・片桐 千博(日揮) ・小嶋 仁(オルガノ) ・小向 夕紀(東芝エネルギーシステムズ)・ 松木 俊哉(国際社会経済研究所) ・宇佐美幸一(川北電気工業) ・北垣 太郎(鹿島建設) ・小田 茂一(大成建設)・小橋 栄作(大成建設)・ 松﨑 任宏(安藤・間) ・杉本 幸司(熊谷組) ・千葉 健二(前田建設工業) ・赤松 英樹(佐藤工業) ・仲村 敦(若築建設) ・大橋 裕寿(東洋建設) ・作田 光生(株木建設) ・中村 良晴(FEN) ・岩崎 晋也(ミドリ安全) ・内藤 義博(日本コンクリート工業) ・小野 真裕(鹿島石油)

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