久保（川合）南海子

『公研』2023年6月号「interview」 皆さんには「推し」がいるだろうか？ 推し活をする人の行動は、そうでない人からすると奇妙に見えることもあるだろう。推し活という切り口で心の動きを研究する久保先生に、推しをめぐる人間の心についてお話を伺った。 愛知淑徳大学心理学部教授 久保（川合）南海子 くぼ（かわい）なみこ：1974年東京都生まれ。日本女子大学大学院人間社会研究科心理学専攻博士課程修了。博士(心理学)。日本学術振興会特別研究員、京都大学霊長類研究所研究員、京都大学こころの未来研究センター助教など経て現職。専門は実験心理学、生涯発達心理学、認知科学。著書に『女性研究者とワークライフバランス キャリアを積むこと、家族を持つこと』（新曜社）『「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か』（集英社新書）等。 底なし沼へのサイクル ──ご著書『「推し」の科学 プロジェクション・サイエンスとは何か』（集英社新書）は、推し文化が定着し注目される今、どのような反響がありましたか？ 久保 25年以上の研究生活の中で、どのテーマより反響が大きかったです。今までにないような熱量のあるご意見や感想をいただけてとても嬉しかったですし、驚きました。「推す」ことに対して、非常に多くの人が関心を持っていることを改めて実感しました。 中でもオタクや推し活をしている方々から「自分の推し活について的確に言語化されていて腑に落ちた」という声や、「推し活をしている人のことが理解できなかったが本を読んでわかった」という声が多かったです。あとは、推し活を入り口に人間の知性や心の動きを新たな視点で把握できるということに対して驚きの声もいただきました。 ──もともとオタクやファンという言葉がある中で、推しという言葉が出てきました。両者に大きな違いはあるのでしょうか？ 久保 私の定義では、広義のファンは受動的な愛好心を持っている人々を指し、推しを推す人は自分から対象に様々なパターンで働きかける人たちと考えています。例えば、同じ漫画でも私は『鬼滅の刃』をおもしろいと感じ全巻読みましたが、それ以上の行動は起こしません。一方で、『ゴールデンカムイ』は自分が楽しむだけにとどまらず、他の人にも読んでもらいたいという気持ちが湧き出てきて、たくさんの人におすすめをしました。簡単に言えば、前者がファンで後者が推しなのではないでしょうか。主体性を持って何か次の行動を起こすことが、推しの定義の一つだと考えます。好きという情熱に突き動かされて、自分も何かしたいという気持ちになり行動したらそれは推しなのでしょう。 さらにこの主体的な行動が、推しの「沼」にハマる要因でもあります。応援もその一つです。学生を対象に、アニメ『あしたのジョー』の試合場面を観ながらペンライトを一定間隔で振ってもらい、対象キャラクターへの魅力度を評価してもらうという実験がありました（三浦・川合，２０２０）。ここで参加者には「アニメを観ながらペンライトを一定間隔で振ると、振り方によってどのような動きのずれが生じるのか測定する」という偽の目的を伝えました。しかし結果を見てみると、ペンライトを振っていた時に活躍していたキャラクターにだけ、非常に高い魅力度の評価がつけられたのです。参加者はペンライトを一定間隔で振っていただけなので、応援しているという自覚がないにも関わらず、魅力を感じることが示されました。つまり、ただ受け身でいるのではなく、自分から対象に働きかけることでさらに魅力を感じ、それによって新たな働きかけをするという循環が生まれるのです。このような循環は、応援だけでなくグッズを集めたり、ＳＮＳに感想を書き込むことにも共通します。自分が好きな対象に働きかけることによって推しへの想いが膨らみ、さらなる行為に発展するという底なしの沼に入ってしまうのです。 目に見えるものを超えた世界 ──この推しをめぐる行動を読み解くには、ご著書のタイトルにもある「プロジェクション」という心の動きが関係してくるのですね。 久保 そうです。推しをめぐる行動には他者から見ると、理解しがたいものが多くあるのではないでしょうか。その行動を説明するカギとなるのがプロジェクションです。 プロジェクションとは２０１５年に認知科学の鈴木宏昭先生によって初めて提唱された概念です。鈴木先生は「プロジェクションとは、つくり出した意味、表象を世界に投射し、物理世界と心理世界を重ね合わせる心の動きを指している」と説明されています。 人間は自分を取り巻く物理世界から情報を受け取り、それを処理して自分の中で表象をつくり出します。そのつくり出したものが、人間にとっての意味です。しかし、この流れは心の動きの半分でしかなく、もう半分ではそのつくり出した表象を物理の世界に映し出し、自分で意味づけた世界の中で様々な活動をしているのです（図１）。人間の心は目に見えた物理世界を、そのままの意味だけで捉えているわけではありません。人々は目に見える以上の意味を自分の中から対象に投影しているのです。 ──このプロジェクションと推し活がどう繋がっているのでしょうか？ 久保 私自身がオタクでもあるので、このプロジェクションの概念を知ったときに、推しを推すこと、つまり対象への働きかけは、プロジェクションの「こころと世界を繋ぐ働き」そのものだと気が付いたのです。 例えば、腐女子と呼ばれるの方々が行っていることもプロジェクションの一つです。男性同士の恋愛要素が全くない作品を、男性同士の恋愛物語として読み替えて楽しむ行為は奇妙なものに見えるかもしれませんが、これはまさに描かれている物語に個人がつくり出した意味を投影しているプロジェクションの一つなのです。 アニメ『ちびまる子ちゃん』の中にもプロジェクションを的確に表したシーンがありました。西城秀樹の大ファンである主人公まる子のお姉さんが、壁を見ながらうっとりしていた場面です。実はお姉さんは壁の西城秀樹の身長と同じ高さのところに印をつけて、あたかもそこに西城秀樹がいるかのように想像していたのです。しかし、外からそれを見ているおじいちゃんにとってはもちろんただの壁です。これは壁に印をつけたことによって、推しを壁に映し出すという働きかけをした、まさにプロジェクションと言えます。つまりは、お姉さんのプロジェクションという心の動きによって、壁にただの壁を超えた表象を映し出したのです。このように、挙げるときりがありませんが、推しをめぐるファンの行動にはプロジェクションが深く関係しているのです。 プロジェクションが利用される危険性 ──極端な話、客とサービス提供者という関係に恋愛関係を投影させるホストクラブは、プロジェクションの一つでしょうか？ 久保 そうですね……。根本は同じだと思います。過度にホストに貢いでしまうのは、プロジェクションが関わっているネガティブな側面であるとも言えます。 本を出版した後、「プロジェクションのネガティブな側面が言及されていない」とのご指摘もいただきました。このご意見は本当にその通りです。もちろんプロジェクションは心の働きという一つの道具なので、ポジティブとネガティブな側面が両方あります。しかし、私はこの本をまずはプロジェクションのおもしろさを多くの人に知ってもらいたいという、布教する気持ちで執筆したので、ポジティブな側面を取り上げました。 過度にホストに貢いでしまうのは限度の問題です。ソシャゲ（ソーシャルゲーム）の課金もその一つです。限度を超えて自分の存在が脅かされるほど推し活にのめり込んでしまうのは負の側面です。しかし、人間なので自分をコントロールすることが得意な人と不得意な人がいます。プロジェクションという心の働きで注意することがあるとするなら、プロジェクションを利用する他者がいるということです。例えば、霊感商法などはその最たるものだと言えるでしょう。多くの人にとってはまったく価値を感じられないツボだとしても、「このツボはご先祖の悪行を背負っている」とか、「この地域にとって不可欠である」という意味を投射させられてしまったら、ある人にとっては非常に高い価値が刷り込まれてしまいます。 また、最近のウクライナ戦争を追っていると、国家単位でもプロパガンダとしてプロジェクションを利用していると強く感じました。現にプーチンが子どもを戦場に送り出す母親に対して、「これは国家のための尊い行為だ」と説いています。人が死ぬという事実に対して都合の良い意味をプロジェクションしていく。これまでの人類の長い歴史の中でも、国家レベルで国民のナショナリズムを利用して、プロパガンダなどにも散々プロジェクションは使われてきたわけです。 ──世界はプロジェクションに溢れているのですね。身近なところでいうと、ものまねもプロジェクションの一つだとご著書にありました。私はものまねは「本物ではなくて似ている人を見ることの何がおもしろいのだろう」と疑問を持っていたのですが、対象物に本物を投影する行為自体におもしろさがあるのですね。 久保 そうだと思います。ものまねを見て楽しんでいる人は決して本物を見たいわけではありません。他者の投射と自分の投射の照らし合わせがおもしろいと感じるのです。 つまり、ものまねではプロジェクションを共有していると言えます。「このものまね芸人はある人の特徴をこう捉えてこう投射している、私もこう捉えてこう投射している。やっぱりそうだよね」という答え合わせによる快感が人々がものまねを好む理由の一つです（図２）。 人間にとって他者と何かを分かち合うというのは大きな快感をもたらします。ものまねのようにプロジェクションを共有することもそうですし、推し活で感情を分かち合うことも大きな幸福感をもたらす。そういう意味で、コロナ禍では直接推しに会うことで多くのファンとともに応援することや、他のファンの方々と直接交流をする機会が減ってしまったことで、推し活の大きな楽しみがかなり制限されてしまったと言えます。 ──コンテンツを楽しむだけではなくて、他のファンとの交流を楽しむことまでが推し活なのですね。 久保 そうです。現在、推し活が注目されている理由の一つが、ファン同士の繋がりが強く、大きなコミュニティで連帯する姿勢が見られる点です。これまでのいわゆるオタクと呼ばれる人たちは、現場で会って直接コミュニケーションをとることが中心でした。一方で、ＳＮＳの発展とともに拡大してきた推し文化は、ファン活動をバーチャルな世界で形成することができますし、リアルな繋がりを超えて大きなコミュニティを形成することができます。ＳＮＳの使用によって、多くの他者とともに行う推し活の楽しみや喜びが見出されたのです。それは推し活が一部の熱狂的なマニアだけではなく、ディープなオタクからライトなファンまで幅広い層に一般化した現状に非常に大きな役割を果たしてくれました。 ──ＳＮＳやインターネットの存在が推し活には必要不可欠なのですね。 久保 現在の推し活の盛り上がりはインターネットやＳＮＳ抜きには語れません。現実での繋がりがなくても、TwitterやInstagramでハッシュタグを入れたらそこに仲間はいるわけですから。 人類の歩みにプロジェクションは必要不可欠 ──宗教もプロジェクションの一つとのことです。インターネットがない時代にここまで広く根強く広げることができるほどの強い力を持っていたのでしょうか？ 久保 そうですね。人間は現実に目に見える範囲の単位の超えた、宗教や国家のような大きな繋がりを維持してきましたが、これはプロジェクションという心の働きがあったからこそ可能だったのです。 宗教の起源とされる「ライオンマン（獅子頭の小立像）」を例に挙げます。これは、ドイツの洞窟から出土した約３万２０００年前のものとされる、動物のかたちをした彫刻です。頭部がライオン、身体は直立した人間の姿をしていて現実には存在しないモチーフのため、人類の空想による宗教や物語の起源として注目されていました。このライオンマンは洞窟で暮らしていた集団の人々が所有していたと言われています。幻獣という表象を彫刻というモチーフに投射したものがライオンマンです。そしてこれこそがまさに人間が遥か昔からプロジェクションという心の動きを使って、虚構を共有してきたという証なのです。 ──なぜそのようなものが必要だったのでしょうか？ 久保 ライオンマンは時に人間の脅威となった自然を超越した存在として、人々の力となっていたのではないでしょうか。彫刻に「自分たちを守ってくれるもの」を投射していたのです。個々が持っているイメージが彫刻に収束し、目に見えるかたちになったことで、より強い集団でのプロジェクションが可能になったのです。ここには宗教の萌芽が見て取れます。 ──名前がついていなかっただけで、昔からプロジェクションは行われていたのですね。 久保 そうです。何かを新しく発見したというより、人間がずっと行ってきた心の動きにプロジェクションという名前がついたのです。 集団の中でプロジェクションが共有される限り、それは社会の中で大きな力を持ちます。貨幣もその一つです。数字が書かれた紙切れに「価値」と「信頼」が投射されること、さらにそのプロジェクションが社会で共有されることで、ただの紙切れは大きな力を持ちます。人間にプロジェクションという心の動きと、さらにそれを大多数で共有する能力があったからこそ、実存的な繋がりを超えた規模でのまとまりが可能で、国家や貨幣、宗教などのある意味虚構とも言えるシステムの中で生活ができているのです。人類の歩みにはプロジェクションの存在が必要不可欠でした。 人間だけがシンボルを生み出せる？ ──目に見える具体的なモノがあるとプロジェクションは強烈に作用するのですか？ 久保 そうですね。具体的な対象物があると強くプロジェクションを引き起こします。例えば、推し活をする人たちは、推しのアクリルスタンドなどを熱望します。ない場合は自分でつくってしまうこともあります。数年前に『ＰＵＩ ＰＵＩモルカー』が流行り、私もハマったのですが、初期の頃はグッズが全く発売されていませんでした。なので、自分でプラ板を買って、オーブントースターでキーホルダーを作成しました（笑）。それぐらい推し活をする上では何か具体的な対象が欲しいのです。 ──役に立つ、役に立たないという話ではなく、欲してしまうということですか？ 久保 シンボルということですね。人間はシンボルをうまく使いこなすことのできる生き物です。このシンボルの活用はプロジェクションの能力とも密接に繋がっていて、言葉もシンボルの一つです。 ──人間以外はシンボルを使えないのですか？ 久保 そうではありませんが、人間ほど自在にシンボルを使いこなす動物はいません。例えば、チンパンジーは言葉を教えると使うことはできますが、自分から生み出すことはできません。シンボルというのは、物事に意味を投影するプロジェクションの機能を主体的に使いこなせないと、扱うことができません。 繰り返しになりますが、目の前の物理的なモノを超えたところに意味を付加していく行為がプロジェクションの大きな働きです。その場合、階層的に広がりのある意味を付加することが人間には可能で、さらにこの広がりは無限なのです。何かに意味を持たせるときに、時間や空間の制限が全くなくプロジェクションをする能力が人間にはあります。先ほどの宗教や貨幣のお話もそうですが、実際に触れ合える範囲を超えてシステムを構築することができます。 一方で、人間以外の動物の場合はそうではありません。進化的に人間に最も近いチンパンジーでも限られた時間的広がりしか持たないので、過去や未来がほとんど存在しないのです。 ──例えばどんな事例があるのですか？ 久保 私がかつて在籍していた研究所に、突然の病気で重い障害を負い、寝たきりとなったチンパンジーがいたのですが、もし人間が同じ状況になったこの先の人生を想像して悲観的になってしまうでしょう。しかし、チンパンジーの場合、人間ほど大きな時間の広がりを持たないため、「今日は思うようにいかなくて大変だったけど、周りに世話をしてもらって大丈夫だった」と１日を過ごします。その次の日も同じように過ごします。進化的には人間に最も近いチンパンジーでも長い未来のイメージを持てないのです。しかし、人間にはそれが可能なので、未来に希望を持つこともできますし、一方で将来に絶望してしまうこともあるのです。 推し活は生きるエネルギーそのもの ──推し活にハマりやすい人の傾向はありますか？ 久保 やはり食わず嫌いをせず、とりあえずやってみようというタイプの人はいろいろな軸を持てる可能性があります。 本を出したことで「私はなぜ推し活にハマれないのでしょうか？」という声もいただきました。私は学生の頃から息をするように何かにハマってきたので、まずそのような人がいることが驚きだったのですが、プロジェクションから推し活を考えてみると、プロジェクションは一つの心の動きなので、やはり得意な人不得意な人がいるのは当たり前の話です。例えば、空間を把握する能力や地図を読む能力、記憶する能力と同じように、プロジェクションを目の前のものに物質的な意味を超えた何かを見出していく能力とすると、得意な人やそうでない人がいても不思議ではありません。 ──今後はどのような研究にご関心がありますか？ 久保 元々は高齢者研究をしていたこともあって、今は中高年の推し活に興味があります。歳を重ねるにつれ友人づくりは難しくなりますし、都会集中地方過疎化の社会の中で高齢者の繋がりがますます希薄になってしまいます。しかし、推し活をしていると驚くほど簡単に友人関係を構築することができるので、これが中高年者の心理的なネットワークになるのではないかと考えています。 推し活は、主体的な内部から外部への働きかけであり、まさにそれは生きるエネルギーそのものです。受け取るだけでも楽しいかもしれませんが、やはり生きがいを得るには自分の内部から外部へ何かを働きかけることが必要です。そういう意味で推し活は生きてゆくエネルギーを生む土壌になるのではないかと思うのです。 ──ありがとうございました。 聞き手：本誌 薮 桃加

ヒトは推し活が得意な生き物!? 「推し」から広がる人類の知性【久保（川合）南海子】