山極壽一 – 公益産業研究調査会／koken

『公研』2023年9月号「めいんすとりいと」 ８月は例年のように、広島市と長崎市で原爆犠牲者慰霊平和祈念式典、東京で全国戦没者追悼式が行われた。おそらくこれらの日々は全国民が厳粛な気持ちになり、手を合わせて祈りを捧げる。私もそうだ。毎年、このような行事があることで私たちは戦争の悲惨さや核兵器の恐ろしさを胸に刻む。第二次世界大戦のような過ちは再び犯してはいけないし、核を軍事に用いることは断じて阻止しなければならない。 しかし、これらが毎年の通例行事になることによって、その意味や日本の主張がだんだん形骸化していないだろうか。今年５月のＧ７サミットは広島で開催され、広島平和記念資料館に各国首脳が訪問したことで核兵器の悲惨さを伝える大きな意味があったと思う。だが、発表された広島ビジョンでは核の抑止力を承認し、ウクライナの武力を増強して戦争を継続させる方針が明記された。世界で唯一の被爆国である日本の主張が何も盛り込まれていないのではないかという不信感を抱く。 欧米各国の首脳は、戦争とは人類に平和をもたらす上でやむを得ない手段であり、武力で解決するしかないという考えを抱いている。それは歴史を遡れば17世紀のトマス・ホッブズの「人間の自然状態は闘争状態にある」という考えに由来する。人間はつねに限りある資源をめぐって争う本性を持ち、大きな権力に委ねてそれを抑止しなければならないというわけだ。核兵器の廃絶をめざしてノーベル平和賞を受賞した米国のバラク・オバマ元大統領でさえ、２００９年の授賞式の演説で「戦争の道徳性は人類の歴史の曙から疑問の余地がない。それは旱魃や疾病と同じように単純な事実である」と語っているのだ。それは、第二次大戦後に登場した「人間は狩りによって進化し、その武器を人間に向けるようになった」という「狩猟仮説」に大きな影響を受けている。 しかし、それは誤った考えであることがすでに明らかになっている。１９８０年、90年代に人間以外の霊長類の研究者はサルや類人猿が群れをつくる理由を探し求めた。その結果、肉食動物の脅威を逃れて食物を安全に得ることが群れで暮らす最大の動機であることがわかった。先史人類学者の発掘調査からも、人類が道具を用いて狩猟を始めたのは50万年前で、武器を使って集団間の争いが起こった証拠はせいぜい１万３千年前であることが判明している。戦争は人類の７００万年にわたる進化史の１％にも満たない、つい最近の出来事なのだ。決して人間の本性などとは言えない。 そういった事実を各国の政治家たちは知らないのか、あえて無視しているのか。むしろ軍備を増強させる方向へ動いている。日本もそうだ。政府は昨年防衛費の大幅な増額を決定し、安全保障３文書を閣議決定した。そこには相手国のミサイル発射拠点をたたく反撃能力を有することを明記し、相手国に攻撃を断念させるような軍事力を日本が持つことを謳っている。これは戦争の否定どころか、国際的な軍拡競争に日本も参加することを意味する。しかし、米国から高価な武器を購入し、南西諸島に自衛隊の基地を拡充しても、果たしてどれだけの効果があるのか。再稼働しようとしている原子力発電所を攻撃されれば原爆と同じかそれ以上の被害が出る。しかも自衛隊に戦う力が本当にあるのか。隊員不足で政府は雇用条件を緩め給与を上げて勧誘しているが、若い世代の反応は冷たい。 日本国憲法の前文には、日本国民は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」と明記されている。戦争を起こすのは国民の命を犠牲にする政府だということを今私たちは強く思い起こさねばならない。 総合地球環境学研究所所長

戦争は人間の本性ではない【山極壽一】