本川達雄 – 公益産業研究調査会／koken

『公研』2023年5月号「めいんすとりいと」 取り締まりを受けたというニュースでファスト映画の存在を知った。切りつめられた映像を見ても、映画を楽しむという本来の目的は得られないのは当然だから、ファスト映画を見る行為には、仲間の話題に付いていくとか、世のトレンドを知るとか、目的が映画の外にあると見て良いだろう。目的が実際にやっている行為の外にあるものを、アリストテレスは運動的行為と呼んだ。 その代表例が「歩く」。歩くのは或る場所に着くのが目的であり、歩くこと自体が目的ではない（散歩を楽しむ場合は例外）。目的に早く着ければそれに越したことはないのだから、運動的行為では早さに価値がある。だからこそ「ファスト」映画なのである。 運動的行為とは違って、目的が行為の内にあるのが活動的行為で、代表例が「見る」。見る行為の行き着く先（目的）は「見た」。つまり見れば見たことになり、見る行為には見たという目的が内部に含まれている。 見れば見たがたちどころに達成されるわけで、これでは目的達成の早さが問題になりようがない。問題になるのは、どれだけよく見るかという行為の充実度・質の高さである。早さではなく質が問題となるのが活動的行為。 「生きる」という行為もそうだろう。小生は「生物の目的は生き続けること」だと考えている。生きれば生き続けるという目的はすでに達成されており、だからこそ凡夫は早く天国に行きたいなどとは願わずに、今の生をできるだけ長く、そして充実させようとするわけだ。 「見る」とは現在形であり、「見てしまった」は現在完了形だが、見れば即座に見てしまったのだから、現在形と現在完了形が一致している。 こんなことは時計の時間では起こらない。だから活動的行為には時計とは異なる時間が流れているはずである。 時計の時間の背景にあるのは古典力学の絶対時間で、これは同じ速度で進んで行き、時間に質の違いはない。時の矢として絶対時間はしばしば直線で視覚化される。 絶対時間の問題点は、今という時間があっという間に過ぎ去ってしまうところ。直線の断面が点であり、点に面積が無いのと同じで、今には長さが無い。 アウグスティヌスの言うように、過去はもう無いし未来はまだ無く、有るのは今だけ。われわれは今を生きているのである。その今にまったく長さが無いとすれば、今を大切にしようがない。いきおい自分の夢想する未来が早く来てくれることばかりを気に掛けるようになる。 機械とは何らかの目的達成のために作られたものであり、機械自身には自前の目的などない。だから機械を使った行為は運動的行為となる。運動的行為を行っている今には意味が無く、これならあっという間に過ぎ去っても問題はない。機械に頼り切っていれば、生そのものもそんな無意味な今に堕するおそれがある。 ファスト映画の背景にはタイパ（タイムパフォーマンス）の考えがあるが、このタイムとは時計の時間であって、これは今の無い時間。しかし生物の時間における今とは或る長さを持ったものであり、その中で生物自身が働く事により時間を感じるものだとアリストテレスは言う。生きている今は自分の体を使って生み出すものなのであ る。 小生は先月、後期高齢者になった。期待するほどの未来など無い歳になってみると、今までとは今に対する付き合い方を変えざるをえない。今後はなるべく機械に頼らず、時計や手帳という絶対時間の具現化物に頼らず、今という時間の充実を心掛けようと思う。 生物学者

ファスト映画の時間・高齢者の時間 【本川 達雄】

ファスト映画の時間・高齢者の時間【本川達雄】