林伴子 – 公益産業研究調査会／koken

『公研』2023年11月号「めいんすとりいと」 かつて作家の堺屋太一さんに毎月、経済情勢を報告する役目を仰せつかっていた。当時、堺屋さんは、第２次安倍政権で内閣官房参与を務めておられ、総理官邸内に一室を構えていた。 日本経済や海外の動きをひととおり説明するのだが、たいてい15分くらいで終わり、その後は、１時間、時には２時間にわたって、政治、社会、国際情勢など幅広い話題について御高説をお聞きしたり、調べものの宿題を頂戴したりする。相当な額の謝礼を用意して講演にお招きするような方だと聞いていたので、そのお話を独り占めするとは随分と贅沢な時間である。おそらく御自身の考えに典型的インテリ中年女がどういった反応を示すのか、私はそのサンプルの一つだったに違いない。毎月の官邸通いは、堺屋さんが亡くなる直前まで続いた。 とりわけよく話題にのぼったのが少子化である。 「林さん、少子化を止めるにはどうしたらいいかね」 「若い人たちの所得を増やすことが重要ではないでしょうか」 「しかし、戦後のベビーブームを見てごらん。あの頃は、みんな貧しかったけれど、子供がたくさん生まれたじゃないか」 一本取られた。次の矢を考える。 「それでは、保育所の整備・充実も重要ではないでしょうか」 当時、待機児童問題が国会審議でよく取り上げられていた。 「そうかねえ。ロシアを見てごらん。あの国は、みな共働きで、子供を保育所に預けているが、出生率は低いねえ」 なかなか手ごわい。 「そもそも結婚が減っています。１９８０年代以降の出生率低下の大半は、未婚率の上昇で説明できます」 「なぜ結婚が減ったのか。見合いが減ったからなのか。日本人は恋愛が苦手なのかねえ」 「でも、一千年前に『源氏物語』を生んだ民族ですよ。源氏の君は、毎日恋愛ばかりしていたじゃないですか。太政大臣、今でいえば総理大臣、総理になる人がせっせと歌を詠んで女性を口説いていた国なのですよね」 「うーむ」 「江戸時代も、歌舞伎や文楽で男女の心中物が人気だったと聞いています。『曽根崎心中』とか」 かくして、なぜ日本の若者は恋愛しなくなったのか、堺屋さんの探究が始まった。 毎月の内外経済情勢の説明は５分でおしまい。もっぱら前月に頂いた宿題返し。若い人の恋愛や結婚に関するさまざまなデータを探してお持ちしたり、はやりの恋愛ゲームソフトをお見せしたり、時には配下の若手職員を連れて行って最近の若者の恋愛パターンを語ってもらったりと、微力ながらお手伝いした。 堺屋さんの結論は、こうだった。日本の社会は、戦後の経済発展のなかで画一化が進み、さまざまな物事を一定の規格にはめて揃えるようになった。そのなかで、人々のライフスタイルや人生の姿も規格化が進み、子供たちも一定のレールに乗せられて枠からはみ出ないよう育ち、その結果、若者は、「夢ない、欲ない、やる気ない」の３なし、低欲社会に陥っている。 「日本は面白（おもろ）うない社会になった」 そう言って、堺屋さんは嘆息された。官邸の窓の向こうの竹林が静かに揺れていた。 あれから５年。今年、経済白書としては初めて「少子化」について章を立て、経済学的に分析した。今の日本では、子供を育てるための費用が機会費用も含めて大きくなっていることを示し、そのメッセージは、政策にも結実した。 しかし、堺屋さんの問いかけには、まだ答えられていない。 厚生労働省国立社会保障・人口問題研究所が未婚男女（18～34歳）を対象に調査した結果によれば、「恋人として交際している異性がいる」「婚約者がいる」と回答した割合は、２０００年代前半をピークに男女とも低下し、直近（２０２１年）では男性21・１％、女性27・８％である。一方、交際相手のいない男女のうち、「交際を望んでいる」人は半数弱にすぎない。また、内閣府の調査によれば、20代独身男性の４割は、中学卒業以来一度もデートをしたことがない。 人の幸せの姿は多様だが、好きな人と一緒に暮らすことの幸せを否定する人は少ないだろう。結婚や恋愛には、もちろん一定のリスクがある。恋愛結婚は、究極的には、非合理的な要素、何がしかのロマンティシズムを含まずしては成しえない意思決定である。規格化された安全・安心な人生とは、相性が悪い。「夢ない、欲ない、やる気ない」ではなおさらである。 「３なし」の若者たち、彼らを育てた低欲社会をつくってきたのは、ほかならぬ我々自身である。我々は、大切なことを若者たちに教えそこねているのではないか。 改めて堺屋さんの慧眼を思う。 内閣府 政策統括官

少子化とロマンティシズム【林伴子】