篠田謙一 – 公益産業研究調査会／koken

『公研』2024年1月号「公研セミナー」 公研セミナー第７２２回 国立科学博物館 館長 篠田謙一 しのだ けんいち：1955年静岡県生まれ。79年京都大学理学部卒。博士（医学）。佐賀医科大学助教授を経て、2003年より国立科学博物館にて勤務。同博物館人類研究部長、研究調整役、副館長などを経て、21年より現職。16年から20年まで日本人類学会会長も務めた。著書に『江戸の骨は語る──甦った宣教師シドッチのDNA』『新版 日本人になった祖先たち──DNAが解明する多元的構造』『人類の起源──古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』など。 人類進化の道のり 篠田 国立科学博物館館長の篠田です。本日は「古代ゲノムが明らかにした日本人のなりたち」と題して、私の専門である日本人の起源についてお話をします。 まず、日本人の起源をお話しする前に、そもそも人類がどうやってできあがったのか、進化の道のりについてお話しします。皆さんご存じの通り、私たちに一番近い動物はゴリラやチンパンジーです。それらの動物との共通祖先から人類が分岐したのが、化石やＤＮＡの証拠をもとにおよそ７００万年前のアフリカだと推測されています。ゴリラやチンパンジーと分かれた後、人類へ進化する過程の、過去５００万年間の化石は、すべてアフリカから出土しています。これらの化石は初期人類とか、あるいは猿人と名付けられています。 そして、２００万年前以降には、アフリカ以外の別の旧大陸からも様々な人類の化石が発掘されています。これらを総称して原人と呼びます。ゴリラやチンパンジーの脳容積はおよそ３５０ｃｃですが、進化を遂げた原人は６００ｃｃから９００ｃｃの脳容積を持ちます。この原人という人類は、北京原人やジャワ原人という名称でも馴染みがあるかもしれません。人類は、その後さらに進化を遂げて、ネアンデルタール人を代表する旧人というグループとなります。そして、ホモ・サピエンスである私たち新人へとつながっていくのです。ホモ・サピエンスの一番古い化石が20万年前から30万年前のものなので、私たちが誕生したのがこの時期ということになります。 高等学校の世界史の教科書を思い出してみてください。教科書には人類の誕生について、４００万年前にはすでに猿人が誕生していると記載されています。正確には先ほどお話ししたように初期の猿人の誕生は７００万年前ほどになるのですが、現在の教科書ではこのように記載されています。そして、教科書では人類誕生の次に農耕社会の成立を扱っています。人類はおよそ１万年前に世界の各地で独立に農耕を始めますが、農耕は大河のほとりで誕生するので、その周辺に四大文明が誕生します。さらに教科書では、ヨーロッパにおける文明社会形成の記述が続きます。オリエント世界と地中海世界の形成です。このような流れで文明社会が形成されていった、というのが高等学校教科書の説明です。 教科書では、人類の誕生から文明社会の形成までかなりの部分が飛ばされていることがおわかりかと思います。先ほどもお話ししたように、私たちホモ・サピエンスの誕生は 20万年から30万年前で、その後アフリカを出ていった時期が６万年前。さらに世界各地に展開していったのが６万年から１万年前です。ですから、教科書では４００万年前から１万年前の時期を取り上げていないということになります。私たちが認識している世界史には大きな空白が、特に人類誕生の初期にものすごく長い空白の期間があるのです。アフリカで誕生したホモ・サピエンスがどのように世界展開をしたのか、残念ながらそれが載っている教科書はありません。 というのも、これらは歴史以前の話だからです。歴史時代は、文字が生まれて記録ができるようになった５０００年前よりも新しい時代を指します。ただ、５０００年前というと、我々ホモ・サピエンスが誕生してからすでにかなりの年数が経っていますよね。要するに、アフリカで誕生した集団がどういった経緯で世界に広がり、どのように世界の各地で集団を形成していったかという知識を、文字がない時代の出来事ゆえに、私たちは持っていないのです。 しかし、研究が進むにつれ、文字がない時代の歴史も実は私たちの体の中に書き込まれているということがわかります。今から30年ほど前に、ヒトのＤＮＡ、つまりゲノムを解読して人類の進化の過程や、それぞれの集団がどう関係しているのか調べることが可能になりました。文字資料は残っていなくとも、我々の細胞には進化の痕跡が残っていたのです。この技術の進歩に大きな貢献をした人物が、２０２２年のノーベル生理学・医学賞を受賞したスバンテ・ペーボというドイツ（国籍はスウェーデン）の研究者です。彼はネアンデルタール人骨からＤＮＡを採取し、彼らと我々ホモ・サピエンスの関係を明らかにしました。 どうやってＤＮＡから集団の形成を読み解くのか 次に、どうやってＤＮＡを使って人類の進化を分析するかを説明します。図１は人間の体の細胞です。皆さんも教科書で見たことがあるかと思います。細胞の真ん中には核という部分があります。その周辺に細胞質があり、ここには様々な細胞内小器官が存在しています。細胞が約37兆個集まることで、私たちの体は構成されています。 体の設計図であるＤＮＡはいくつかの場所にあって、その一つが細胞核にある核ＤＮＡです。核の中には46本の染色体が対になって存在していて、染色体にＤＮＡの連なりである２万２０００種類の遺伝子が収納されています。染色体が対になる理由は、片方は父親から、もう片方は母親からのＤＮＡを受け継いでいるからです。つまり、一つの細胞に４万４０００個ほどの遺伝子が入っていることになります。ただ、どちらの染色体が父親で、どちらが母親からのものかは区別がつかないのですが、一つだけ区別のつくものがあります。それが図１左下にある性染色体です。これは性決定に関係する染色体で、二つのうち一つがＹだと必ず男性になります。Ｙ染色体に男性をつくる遺伝子が入っているのです。一方で、両方Ｘだと女性になります。男性のＹ染色体だけは父親から受け継いでいるということです。したがってＹ染色体を分析することで、父系の系統を遡ることが可能になります。なお、他の染色体にあるＤＮＡは両親から受け継いでいるので、これを分析すると、集団全体の特徴を調べることが可能です。 ＤＮＡが存在するのは核ＤＮＡだけではありません。細胞質の中にあるミトコンドリアの中にも独自のＤＮＡが存在します。ミトコンドリアは、エネルギーをつくり出すとても重要な細胞内小器官です。この中に１万６５００個のＤＮＡ、具体的にはＧＡＴＣの４種類の塩基が環状に連なっているミトコンドリアＤＮＡが存在します。ミトコンドリアＤＮＡは、母親のものを受け継ぎます。このＤＮＡを調べることで母から子どもへと連なる系統がわかります。つまり、先ほど出てきたＹ染色体のＤＮＡからは父から子どもへの系統がわかるので、双方を分析することによって、父方、母方の系統を調べることができるのです。このように人間の体の中にある様々なＤＮＡを解析することによって、私たちがどうやって今の私たちになったのかを知ることが可能になりました。実際はもう少し複雑な話ですが、このように理解しておいていただけると、この後の話がわかりやすいかと思います。 ここ数十年で飛躍的な進歩を遂げたＤＮＡ解析 次に、このＤＮＡの分析の歴史と、現在はＤＮＡを調べて何がどこまでわかるのかを少しお話しします。先ほど説明したように、ミトコンドリアＤＮＡからは母親の系統を知ることができます。Ｙ染色体は父親の系統です。そして核のＤＮＡは両親からきたＤＮＡの分析となります。この中で、最初に分析が可能となったのは、ミトコンドリアＤＮＡです。一方、Ｙ染色体は核ＤＮＡの一部ですから、分析をするのが簡単ではありません。ヒト一人分のすべてのＤＮＡを分析できるようになったのは２００３年です。ヒト一人のＤＮＡの全体をゲノムと呼びますが、それを分析するプロジェクトがヒトゲノム計画です。世界中の学者が協働して13年という歳月と、３０００億円という巨額な費用をかけて２００３年に完遂しました。 また、日本人一人分のＤＮＡは、２０１０年になってようやく分析が終了しました。日本人だけ分析しても意味がないということで後回しになっていたのかも知れません。しかし、２０１０年以降は、次世代シークエンサという新しい分析方法が利用できるようになります。これを使うと２、３日でヒト一人分のＤＮＡ分析が可能です。さらに、非常に古い骨の分析までできるようになり、先ほどお話ししたペーボ博士は、この技術を使ってノーベル賞を受賞します。このようにＤＮＡ分析の分野では、ここ数十年で爆発的な技術の進歩が起こっているのです。 図２はミトコンドリアＤＮＡの系統解析の結果です。先端にある小さな丸一つひとつが、ヒト一人分のミトコンドリアＤＮＡの全配列だと考えてください。一人当たり１万６５００文字の配列です。この解析は世界中から３０００人ほどのミトコンドリアＤＮＡの全配列を使って描いたものです。配列を決めた後に、似た者同士の丸を線でつなげていくという作業をしています。ある先端の丸から一番近い系統のものは、その隣にある丸ということです。そして、それらの似た者同士には当然共通の先祖がいるはずなので、その先祖を予想します。 そして、さらにその共通先祖の隣には似たものがいて、さらにそれらの共通の先祖を探すというように、どんどん共通の先祖を辿っていく。すると、あらゆる線がすべてつながり、最終的には図２左上にある大きい黒丸に集約されるのです。この黒丸が最初の女性が持っていたミトコンドリアＤＮＡだということになります。そして、この最初の女性から出た枝の先にいるのは、すべてアフリカに住んでいた人から採られたものです。 世界中のミトコンドリアＤＮＡを辿っていくと最終的にアフリカ人グループの一人だったということで、人類はアフリカから誕生したのだと見当がつくのです。 図２ではアフリカ人のグループから、大きく二つの枝が伸びています。一つはアジア人、もう一つはヨーロッパ人の枝です。アフリカから出た人類には大きく二つの流れがあったということです。このように、世界中の人のミトコンドリアＤＮＡを比較してみると、少しずつ異なることがわかります。その違いをもとにして人類がどこから生まれてきたのか、どのように広がっていったのかを知ることができるというわけです。 また、ＤＮＡには当然、突然変異も起こりますが、突然変異はどの程度の時間間隔で起こるものかがわかっているので、どのタイプがいつ頃誕生したのかは推測が可能です。アフリカを飛び出した二つのグループが生まれたのが６万年前と推定されているので、このころ人類は出アフリカを成し遂げたと考えられています。 少し専門的な話になりますが、ある程度の時代を遡ると共通の祖先がいる人々をまとめたグループをハプログループと呼びます。専門用語で面倒かもしれませんが、この単語はこの後も出てくるので覚えておいてください。ミトコンドリアＤＮＡやＹ染色体にはハプログループという区分があり、数千年程前に同じ祖先から派生した人たちをまとめたグループを指します。 アフリカを起点にヨーロッパとアジアに分岐 次に、このハプログループが世界中でどのようにできてきたかの概要を図３で簡単に説明します。20万年から15万年前ぐらいにアフリカで誕生したのが、Ｌというタイプのハプログループです。人類は最初の10万年以上はアフリカだけに住んでいました。そして、６万年ほど経ったころから、ＭとＮという大きな二つのグループがアフリカを飛び出します。Ｍはアジアへ向かい、Ｎはヨーロッパとアジアの双方へ向かいます。この二つのハプログループは移動した先で子どもをたくさん産み、そこから突然変異が起きて新たなタイプが生まれて広がっていきます。 ６万年前から２万年前の間にほぼユーラシア大陸全土に広がり、 ２万年前より新しい時代になると新大陸、南北アメリカ大陸に渡っていきます。アメリカ大陸の先住民は五つのハプログループを持つのですが、実は五つすべてが東アジアでも確認されています。つまり、東アジアからベーリング海峡を越えてアメリカ大陸に進んでいったということです。 余談ですが、お話ししたようにミトコンドリアＤＮＡのハプログループは世界それぞれの地域によって独自のものがあります。日本人なら日本人が持つハプログループがあるのです。これに関する話です。第二次世界大戦ではソビエトに抑留された日本人がたくさんいて、そのまま現地で亡くなられた方がおよそ１万２０００人いました。日本はその方々の遺骨返還事業を継続して行っていますが、実は返還してもらった骨にロシア人のものが交ざっているのではないかという疑いが浮上しました。数年前に問題になりましたね。 では、なぜロシア人の骨だとわかったのでしょうか。個体識別をしようとＤＮＡ鑑定を行い、ミトコンドリアＤＮＡを調べたのですが、ヨーロッパにしかないハプログループが出てきたのです。いくら何でもこのハプログループを持っている骨は日本人のものではないと疑念が生じます。つまりロシアでの発掘、遺骨収集事業で手違いがあって、ロシア人の骨を持ってきてしまったのです。実は私もこの事業に関与しているのですが、現在も間違った骨はお返しする作業をしています。ただ、残念ながら今は、ロシアに返すことが難しく、少し困った状況になっています。 何が集団ごとの違いを生むのか？ ここまではミトコンドリアＤＮＡについてお話をしてきましたが、次にもう一つの核ＤＮＡについてお話しします。集団の成り立ちの解析法を理解するために、最初に少し専門的な話をします。私たちの核ＤＮＡは全部で30億ほどの塩基、ＧＡＴＣのつながりで構成されています。その中で平均して１０００カ所に１カ所ほどの割合で他人と違っている箇所があるのですが、これをＳＮＰ（スニップ）と言い、ヒトのゲノム全体ではおよそ３００万から４００万カ所のＳＮＰがあることがわかっています。この違いは突然変異によって生まれます。 例えば、ある集団が二つに分かれて両者の間で婚姻がなくなると、最初は同じＳＮＰを共有していますが、やがて双方の集団で、突然変異によって違う場所にＳＮＰが生まれていきます。さらに時間が経つとともに、異なる部分のＳＮＰが増えていき、全体をくらべるとそれぞれの特異性が際立つようになります。ＳＮＰが生じることで、もともと同じ場所から生まれた人類も、長い時間をかけてそれぞれに大きな違いを持つようになるというわけです。ＳＮＰを調べることによって集団の成り立ちを知ることができるのです。 理化学研究所のグループが２００８年に、日本全体から無作為に７０００人を選び、一人ひとりについてＳＮＰを14万カ所調べた研究を発表しました。ＳＮＰの違いを他の集団と比較することが目的です。そのデータとアフリカ人とヨーロッパ人のデータを比較して、主成分分析で図式化したものが図４の左の図です。東アジア人、アフリカ人、ヨーロッパ人がはっきりと分離していることがわかりますね。 この理化学研究所の研究で興味深かったのが、表の三つの集団から一人飛び出した人がいることです。この人はちょうどヨーロッパ人とアジア人の真ん中にＤＮＡの特徴がきています。つまりこのＤＮＡの持ち主は、両親のどちらかがアジア人でどちらかがヨーロッパ人ということになるのです。また、アジア人の点から４分の１の距離ヨーロッパ人に近いところに位置する点があります。この位置にいる人は、おじいちゃんおばあちゃんのうち、誰か一人がヨーロッパ人ということなのです。この図のどこに点が位置するのかで、その人がどういう祖先を持っているかが、ある程度見当がつくのです。 ただし、図だけ見るとアフリカ人とアジア人とヨーロッパ人は、遺伝的に完全に分かれているように見えますが、実はこれには裏があります。例えば、東南アジアから西アジアの人を入れると図４の右の図のように、ヨーロッパ人とアジア人が連続して、線上に連なることがわかります。世界中の集団をくまなく調べると、地理的に近い集団同士が、連続しているのです。これは世界中の人間が自由に婚姻できて、子孫を残すことができることを考えれば当然のことでしょう。人類集団は、いわゆる人種のようなカテゴリーで分離することはできないのです。 日本人のなりたち ここから本日の本題である日本人のなりたちについてお話をしていきます。これまでの研究では「日本人はどこから来たのか」について研究が進められていましたが、人類の起源はアフリカにあることが明らかになったため、現在では「日本人の成立の経緯」を世界的な視野で明らかにすることが新たに解明すべき目標となりました。 まず骨の形態から見ると、どのような理解がなされているかを説明しましょう。日本列島に最初にホモ・サピエンスが到達したのが４万年ぐらい前でした。およそ１万６０００年前になると、日本全土で土器を使うようになり、ここから縄文時代が始まります。縄文人は北から南まで広範囲の地域に住んでいて、縄文時代の骨はかなりの数が発掘されています。その骨から縄文人がどのような姿かたちをしていたか知ることが可能です。 さらに、３０００年前ごろになると大陸から最先端の農業技術である稲作と、金属器をつくることができる最先端の工業技術を持った人々が入ってきます。彼らは最初に九州北部に入ってきて、在地の縄文人と混血を始めます。この時代を弥生時代と呼び、この時代に生きた人々を弥生人と呼んでいます。縄文人は南方系の集団だと考えられていて、他方で弥生人は北方系集団と予想されるので、出自がまったく異なります。そのため、この二つの集団の姿かたちは大きく違っていると説明されています。この二つの集団が、歴史時代を通して長い間かけて混血してできあがったのが今の私たちだということです。 しかし、北海道は渡来人が持ってきた稲作が入っていませんので、縄文人がそのまま残ります。また北海道は他の地域とは違い、オホーツク文化が５世紀から10世紀にかけて入ってくるのですが、その影響はあまり強くなく、人骨の形態からは、縄文人の影響が強く残っていたと考えています。なので、アイヌの人々も縄文人の子孫と言ってよいということになっています。また、琉球列島に稲作が入るのは１０００年前と、他の地域より２０００年ほど遅れたため、琉球列島にも縄文人の影響が強く残っています。日本列島の北と南の集団が似ているのは、そういう理由があると考えています。 以上が、骨から得られた日本人のなりたちのシナリオです。ただ、これは日本列島集団の成立を統一的に説明してはいるものの、本州を中央として、北海道や沖縄を周辺とする見方にもとづいています。 日本にしかいないＤＮＡのタイプ では、果たして本当にそれは正しいのか。骨ではなくＤＮＡで日本人のなりたちを考えたらどうなるのか。ここ20年で急速に進化したＤＮＡ解析を基にした研究の説明をしていきます。そもそも、現代日本人はどのようなＤＮＡを持っているのでしょうか。そして、成り立ちを考えるには縄文人と弥生人のＤＮＡも分析する必要があるので、現代と古代日本人のＤＮＡ分析の結果についてお話をしていきます。 初めに現代日本人のＤＮＡ研究です。現代日本人のミトコンドリアＤＮＡのハプログループの割合を示したものが図５です。日本人の三人に一人はＤ４というタイプを持っていて、これが最も多いタイプです。次に多いものがＢ４で、日本人の約１割を占めます。これ以外にも複数のタイプがありますが、他は全体に占める割合は小さくなります。 これらのタイプは、どこの地域にそれぞれ起源があるのでしょうか。地図にその地域で一番多いミトコンドリアＤＮＡのハプログループを記したものが、図６です。例えば、Ｆは日本人だと５％ですが、東南アジアだと50％を占めます。Ｂ４は日本人だと10％ほどですが、フィリピンだと80％もいるのです。人口に占める割合の大きなところが、元々の起源地だと推定できます。朝鮮半島と中国の北東部は、日本人と同じくＤ４が一番多いです。また、興味深いことに日本人にしかないタイプも存在します。それはＭ７ａとＮ９ｂという二つのタイプで、朝鮮半島ですら数％、中国だとまったく出て来ないタイプです。ミトコンドリアＤＮＡは母系ですから、私たち日本人の母系を辿っていくとその先祖のほとんどがアジアに広がっていますが、日本にしかないタイプも存在するのです。 次に、現代日本人の男性Ｙ染色体ＤＮＡのハプログループを見ていきます。複雑なので大まかな話をすると、日本人には三つのタイプがあります。Ｃ、Ｄ、Ｏというタイプです。それぞれのタイプにもさらに細かな分類があるのですが、Ｃが１割、Ｄが３割、Ｏが６割です。この日本人男性のハプログループがどこから来るかというと、おもしろい分布をしています。ＣはＣ１とＣ２に分かれて、Ｃ２が北東アジア、Ｃ１が東南アジアに分布しています。いずれも日本列島にも存在しますが、合わせて１割程度です。北東アジアにいるＣ２は、モンゴルの人たちに多いタイプです。おそらく、チンギス・カンが大帝国を築くときに、北東アジアに急拡大したため広範囲に広がったのでしょう。なので、Ｃ２はカザフスタンや中央アジアにまで広がっています。ただ、日本にはこのタイプは５％しかいません。半分冗談ですが、蒙古襲来が成功していたら、日本もＣ２が高い割合を占めていたかもしれません。 また、日本人男性の６割を占める最も多いＯは、東南アジアから東アジア全体にかけて分布が広範囲に広がっています。そして、おもしろいのが日本人男性の三人に一人の割合でいるタイプＤの分布です。これは、なんと日本列島とチベットだけに分布しています。このグループは、６万年前ごろにアフリカからやってきて東南アジア、東アジアに薄く広範囲に広がったものの、その後におそらく農耕の広がりとともにタイプＯが拡散したので、Ｄはヒマラヤの山の上や海を隔てた日本列島などにしか残らなかったのだろうと考えられています。なので、男性の皆さんの三人に一人はこのタイプですが、かなり古い時代にアジアに入ってきて日本列島だけで生き延びたという過去を持っていることになります。このように、現代日本人のＤＮＡを調べることによって様々なことがわかります。 さらに、先ほど出てきたＳＮＰの分析を現代人のＤＮＡでより詳しく分析したものが、図７です。この小さな点一つひとつが、一人ひとりが持っているＤＮＡのタイプです。実は同じ日本人でも、本土の日本人と沖縄人では、核ＤＮＡのタイプがすこし異なることがわかります。日本人の範囲の端と、韓国の範囲の端が重なり、そしてさらに韓国系より離れたところに北京中国人が位置します。 以上、現代日本人のＤＮＡの特徴をまとめると、ミトコンドリアＤＮＡもＹ染色体ＤＮＡも、大雑把に言うと、多くはアジアの広い地域に共有されています。一方で、日本人特有のものもあります。ミトコンドリアＤＮＡだとＭ７ａ、Ｎ９ｂ、それからＹ染色体だとＤというハプログループが日本人に固有のものです。加えて、核ＤＮＡを分析すると本土の日本人と沖縄の人のＤＮＡは異なるということです。では、現代日本人が持っているこの特徴は、どのようにできあがったのでしょうか。これをきちんとシナリオとして描くことができれば、それはまさに日本人のなりたちを解明したということになります。そのために今度は古い骨のＤＮＡを分析していきます。 縄文人にも地域差があった 順を追って日本人のなりたちを読み解くために、最初に縄文人の均一性の話から始めます。そのために、日本中にある数百人の縄文人骨からＤＮＡを抽出して、ミトコンドリアＤＮＡのタイプが分析されました。これは私の研究でもあります。分析の結果が、図８です。興味深いことに、どの地域のどの集団にも必ず出てくるハプログループが二つあります。Ｎ９ｂとＭ７ａです。この二つはどこの地域の縄文人でも必ず持っていたタイプということです。そして、先ほど日本人のミトコンドリアＤＮＡのハプログループは、現代人で見るとアジアの広い地域に広がっているが、二つだけ日本列島にしかないタイプがあると話をしましたが、それがまさにこのＮ９ｂとＭ７ａです。つまり、これは縄文時代から日本列島にあった固有のタイプだということになります。 もう一点、おもしろいことに日本にしかないハプログループのうち、Ｎ９ｂは列島の北の地域に多く分布しています。約７割がこのタイプで、Ｍ７ａは１割ほどしかありません。反対に南に行くと、Ｍ７ａが約９割を占めＮ９ｂは１割ほどになります。この二つのタイプは分布が違うのです。おそらく、Ｎ９ｂは北から入ってきて、Ｍ７ａは西から入ってきたのだろうと考えています。さらにＭ７ａを詳しく調べていくと、西日本に多いタイプ、関東以北に多いタイプ、北海道に多いタイプというように三つぐらいに分かれて、細かく分類していくとさらに地域差がはっきりしてくるということがわかりました。均一に見える縄文人も、ＤＮＡまで調べて見るとかなり地域差があるということがわかります。以上がミトコンドリアＤＮＡのハプログループの分析結果です。 さらに、核のＤＮＡを現代人と同じ精度で調査する研究も行いました。対象となったのは北海道礼文島の船泊遺跡の縄文人です。その中の船泊23号縄文人を分析していきます。歯の一番先端のごく一部を削り取り、中から骨粉０・２グラムを採取し分析しました。この島は稚内の西方60キロメートルの日本海上に位置しており、島の最北端にある船泊遺跡からは利尻島が見えるのです。この島は縄文人にとって夏のキャンプ地だったようで、彼らは夏になると北海道からやってきて竪穴住居をつくって暮らしていました。その時に亡くなった人たちの人骨が船泊遺跡から出土します。彼らは夏の間この島に来ると、オホーツク海でトドやアザラシなどの海獣を獲っていました。その証拠に、海獣を獲るための道具や、海獣の骨が出土しています。 一般的に縄文人はドングリやクリなどの実を主な食料としているのですが、おもしろいことに船泊遺跡からは、そのような食料や専用の土器などが出ていません。ここの縄文人は木の実を食べずに、海獣しか食べなかったようなのです。その理由は考古学や人骨研究ではわからなかったのですが、全ゲノムを分析することで、彼らの持っている遺伝子の一部がデンプンをうまく分解できないことがわかりました。ですから、脂肪から栄養を摂る必要があったのです。そんな彼らと同じ遺伝子を持っているのはエスキモーなどの北極圏の先住民です。だから船泊の縄文人は、夏になると北海道から島に渡ってきて、脂成分の多い海獣を食べていたのだろうと理解できます。 ＤＮＡ分析から、船泊23号縄文人に関しては、食事内容以外にも多くのことが判明しました。例えば、シミができやすかった、耳垢が湿型である、目の色は茶色、血液型はＡ型、お酒が強かったことなどです。これをマスコミ発表したときに詳細に説明をしたのですが、最終的には酒に強いという話しか紹介してもらえなかったので少しがっかりしたのを覚えています（笑）。 ゲノムデータを基にした船泊23号縄文人の復元像が図９の写真です。従来の縄文人の復元では、骨格が似ていると言われているアイヌの人や沖縄の人の特徴を、そのまま骨の上に乗せただけのものでした。しかし、今は写真のようにゲノムから姿かたちを復元できるようになりました。なお、最近はこの復元の技術もかなり進んでいて、ゲノムデータさえあれば、骨がなくてもどんな顔つきかある程度復元することも可能になっています。 大陸沿岸部の人が縄文人として日本に上陸 では、縄文人のＤＮＡを分析することができましたが、彼らはどのように日本列島に到達したのでしょうか。実は相当昔の話なので大まかなことしかわかっていないのですが、少しずつ解明も進んでいます。先ほどの船泊23号縄文人のＤＮＡを、中国の北京近くの田園洞から出てきた４万年前のＤＮＡと比較しました。実は大陸では２万年より古いゲノムは、この田園洞の個体しか残されていません。彼らと縄文人を比較してみると、縄文人と共通したゲノムは４割程度で、残りの６割近くは縄文人には見られないことがわかりました。そこで、改めて現代人で縄文人の遺伝子を持っている人はどこにいるのかを調べてみると、日本列島、沖縄、北海道はもちろんですが、朝鮮半島、ウリチという北の沿海州の集団、台湾の先住民や中国南部の先住民など、東アジアの海岸域に住む人たちに縄文人由来のＤＮＡがわずかに残っていることがわかりました。そのため、古い時代に沿岸で暮らした人々が日本列島に入り、縄文人となったというのが一つの説明になります。現代人にも残っているのは、その名残というわけです。縄文人は広い東アジア沿海部分で最初に広がった集団の遺伝子を受け取ってできあがった人たちなのでしょう。 現代の日本では、南九州や東北地方で縄文人の遺伝子が強く残っていることがわかっています。一方で、関西地域にはあまり残っていません。現代日本人の遺伝子も完全に均一に混ざり合っているわけではなく、縄文のＤＮＡを濃く残している人とそうでない人がいるのです。縄文時代の後に渡来系の弥生人が入ってきて混血を進めますが、地域ごとに混血の程度に差があり、それが現代の地域の特徴に影響していると考えられます。例えば、その一つがお酒の強さです。お酒に強い人が多い地域と、縄文人の遺伝子が多く残る地域が重なるのです。これはＡＬＤＨ２という遺伝子の変異に関係しています。皆さんも体感としておわかりかと思いますが、東北地方や九州地方にお酒の強い人が多くいます。先ほど出てきた船泊23号縄文人を思い出して欲しいのですが、縄文人はお酒に強かったという分析結果と一致しています。現代の日本人も地域によって特徴があり、必ずしも均一ではないことは皆さんも感じているとは思いますが、その理由の一つに縄文人と渡来系弥生人との、それぞれの地域での混ざり合いに違いがあるのが原因なのです。 多種多様な弥生人 次に、縄文時代の後の弥生時代の人々についてお話しします。弥生時代は３０００年前からおよそ１０００年間続きました。そして、弥生人というのは弥生時代に日本列島に住んだ人々を指していますので、様々なタイプの人を含んでいることがわかります。縄文人の遺伝子を受け継いだ人、大陸から来た人、そして両者の混血の人もいます。また、混血の度合いは地域や時代によって差があったはずです。なので、弥生時代には、多種多様な人々が日本列島で暮らしていたことが予想できます。 弥生人の多様性は、骨の研究からも指摘されています。図10は九州地方から出てきた弥生人です。北部九州地域には、おそらく大陸から来たであろう人たちの遺跡が集中しています。彼らを渡来系弥生人と呼び、佐賀県の吉野ヶ里遺跡などが有名ですね。また、長崎県、佐賀県の離島などから出てくる西九州弥生人と呼ばれる人たちは、弥生時代でも縄文人のような顔かたちをしています。また南九州や種子島から出てくる南九州弥生人は、縄文人とも弥生人とも異なる顔をした人なのです。この中では、宇宙センターのある種子島の広田遺跡が有名です。 ここで、縄文人と現代人のミトコンドリアＤＮＡのハプログループを比べてみましょう。図11を見るとわかるように、縄文人にはなくて現代人にあるタイプがＤ４やＮ９ａ、Ｂ５なので、これらは縄文時代以降に入ってきたものと考えられます。弥生時代以降非常に多くのミトコンドリアＤＮＡの系統が入っていたということが、この図からも一目瞭然です。 北部九州に多い渡来系弥生人の遺跡の中でも、代表的な福岡県那珂川市の安徳台遺跡からは、巨大な甕棺、銅剣、様々な鏡を副葬品として持っている人物の骨が出ています。この渡来系弥生人のゲノムの特徴はどのようなものでしょうか。佐賀県呼子の大友遺跡や佐世保の下本山遺跡からは、顔つきが縄文人と似ている西北九州の弥生人の骨が出土しています。彼らは縄文人の末裔で、縄文人と同じ遺伝子を持っているのでしょうか。さらに、南九州の広田遺跡から出てきた骨はどのような遺伝的特徴を持つのでしょうか。これら九州の三つの地域の弥生人を分析することで、そのなりたちに迫ってみます。 縄文人と現代日本人の関係性は？ ゲノムから見たアジア集団の持つ遺伝的な特徴を図12で見ていきます。まず、大陸現代人のゲノムを見ていきます。図の右上方に中国の少数民族が固まっていて、重なるように隣にベトナム人がいます。その隣に南中国の人がいて、中国北方、モンゴルと続きます。つまり、大陸の現代人は、東南アジアから東アジアにかけて、同じ言語集団に属する人々は似たＤＮＡのタイプを持っているということです。これは同じ言葉を話す人同士での婚姻が一番多いのですから、当然ですね。また、近接している集団は少しずつ変化していきながら南から北東方向へ遺伝子が変化をしているというのが、大陸の集団の特徴です。 一方、韓国は図12の左中央あたりに位置します。そして、韓国の斜め左上に現代日本人がいます。おわかりのように、東南アジアから東アジア、朝鮮半島、そして日本海を挟んで日本人というこの位置関係は、世界地図そのものです。要するに、地理的な違いをある程度反映して、集団の遺伝的な特徴は変わっているというわけです。 では、なぜ図12において日本人はここに位置するのか。それは縄文人の位置を見ていただければ明瞭で、私たちは縄文人と大陸集団の混血なので、その中間に位置するということです。もちろん現代人で縄文人そのもののＤＮＡタイプを持っている人は一人としていませんが、彼らのＤＮＡは私たちの中に残っているのです。 現代人と縄文人の関係性がわかったので、次にその間を埋める弥生人の核ＤＮＡについて説明します。まず渡来系の弥生人の核ＤＮＡについてお話しします。渡来系弥生人は、図12左上の点線で囲んだところに位置します。これは私にとって予想外の結果でした。というのも、渡来系弥生人は大陸の現代人、北方系の中国人や韓国人と同じ遺伝子を持っていると思っていたからです。しかし、渡来系弥生人は現代日本人と重なっていることがわかったのです。これは渡来後にすぐに縄文人と混血した結果だと考えたのですが、そうでもないという証拠がいくつか見つかりました。カギとなるのが獐項遺跡から発掘された人です。図12の左上にいる獐項遺跡からの人は、位置からもわかるように渡来系弥生人や現代日本人と同じ遺伝的特徴を持っていますが、実はこれは６０００年前の朝鮮半島の新石器時代人なのです。６０００年前というと日本の縄文時代と同じ時代です。つまり、朝鮮半島も６０００年前には、縄文的な遺伝子が残っていたということなのです。このような縄文的な遺伝子を持つ人たちが、弥生時代以降に渡来したと考えられます。これまで、渡来系弥生人は縄文人とはまったく異なる遺伝子を持った、現代の中国人のような人々だと考えていたのですが、そうではなさそうだということがわかったのです。 二つ目に、顔つきが縄文人と似ている西北九州の弥生人についてです。彼らは縄文人と渡来人のハイブリッドであることがわかりました。図12では西北九州人の下本山遺跡人が渡来系弥生人と縄文人との間に位置しています。彼らは、顔つきは縄文人に似ていますが、遺伝子から見ると渡来人とのハイブリッドなのです。一方、同じ西北九州弥生人でも、大友人骨の遺伝子は縄文人と変わりません。このことは、西北九州弥生人は元々の縄文系の人々と、混血した人々を合わせてまとめた呼称だということを示しています。 三つ目に南九州の弥生人分析結果ですが、彼らも基本的には縄文人と同じ遺伝子を持っていることがわかりました。南九州の弥生人は、恐らく他の地域から隔離されたために独特の形質を獲得した縄文人の末裔なのでしょう。南九州では縄文系の遺伝子がとても長い間、残っていたことになります。 以上、図からわかるように、弥生人は非常に広い遺伝的な幅を持っています。東北や関東は弥生時代後期になっても縄文人の特徴を持ち続ける人がいたこともわかっています。縄文系の遺伝子を持った人から大陸系の人まで、いろいろな遺伝的な特徴を持った人々が住んでいたのが弥生時代の日本列島だったのです。 余談ですが、種子島では中世の時代に入ると、急に大陸集団に遺伝的に近い人が出てきます。種子島の中世の墓地には、埋葬人骨の中に南中国の人がいたこともわかっています。ご存じのように、種子島では中世の時代、ポルトガルから鉄砲がもたらされますが、実はそのポルトガル人を連れてきたのが南中国人だったのです。南中国人の船がポルトガル人を船に乗せていて、難破して辿りついた土地が種子島でした。中世における交易の広がりも、ゲノムに見ることができます。 弥生人の起源は中国・西遼河にあり 弥生時代に日本に渡来した人の起源も最近わかってきました。その起源は西遼河にあるというのが最近の定説です。中国では黄河流域で小麦を中心とした農耕が５０００年前以降に始まります。そこで生まれたのが黄河文明です。さらに、長江流域で７０００年前ごろに稲作が始まります。これが長江文明で、この二つが中国の二大文明だと言われています。しかし実はもう一つ、黄河より北には遼河という川があって、その西側の西遼河では黄河流域とは別の雑穀農耕民が存在し、彼らが５０００年前にヒエやキビを中心とした農耕を始めていました。実は最近のゲノム研究で、この西遼河の人々が弥生時代に日本列島に入ってきた人たちの源流であるとわかってきたのです。３０００年前から一万年ほど前の時代の東アジアの様々な遺跡から出土した人骨の持つゲノムをしらみつぶしに調べて見たところ、その中で５０００年前の西遼河の集団が、弥生時代になって大陸から日本列島に入ってきた人々と同じＤＮＡを持っていたことがわかったのです。西遼河集団は、朝鮮半島に４０００年前以降に入ってきます。文化としては夏家店の上層文化と、紅山文化に属する人たちです。 中世には現代人のＤＮＡが完成 これまでの話を踏まえて、日本列島でどのように集団が形成されていたのかのまとめに入ります。図13は日本の古代人と現代人の縄文系要素と渡来系要素の比較を表したものです。本州・四国・九州の現代日本人では10％が縄文系のゲノムで、残りの90％が渡来系弥生人のゲノムで構成されていることがわかりました。琉球列島の現代人は、縄文系が30％で渡来系が70％です。沖縄をさらに中世まで遡ると、宮古島でも琉球現代人と同じ割合のゲノムで構成されています。中世の時代にはすでに現代と同じ遺伝的な特徴が完成していたということになります。さらに、３５００年前まで戻ると宮古島では縄文系が１００％になります。縄文人と渡来系弥生人のハイブリッドである西北九州の下本山弥生人は、縄文系が55％ほど、渡来系が45％ほどの比率です。また先にお話ししたように、安徳台遺跡や隈西小田遺跡の渡来系弥生人にも縄文系のゲノムが混入しており、現代日本人と同じく縄文系が10％、渡来系が90％程度の割合です。一方、北海道のアイヌの人々では、縄文系が70％、渡来系が10％、そしてオホーツク文化の人のゲノムが20％程度残っています。 残念ながら、大陸から日本列島に渡来した直後の集団のゲノムの解明はまだできていません。地理的に考えれば、この遺伝的な要素の源流は朝鮮半島の南西部あたりにあると考えられていますが、４～５千年前の遺跡のゲノムを調べていくと本当にバラバラで、縄文系の遺伝子を９割持つ集団がいると思ったら、ほぼ同時代の隣の遺跡には１００％渡来系弥生人の遺伝子を持つ集団が存在したりしています。そして、先にお話しした、釜山の加徳島にある獐項遺跡からは15％縄文人の遺伝子を持つ個体が出ています。２５００年前になると１００％渡来系弥生人のゲノムを持つ遺跡が出現しますが、この頃は日本の弥生時代に相当します。一方、さらに時間が経って４、５世紀でも、半島の沿岸地域には、現代日本人よりもはるかに縄文系が強い遺伝子を持っている人がいたりします。朝鮮半島南部の集団は、長期にわたって遺伝的に多様な社会だったようで、こうなると一体誰が日本に渡来してきたのか、まったく予想できないのです。 さらに話を難しくしているのが、朝鮮半島に渡来した稲作が日本に入るまでの期間です。稲作が朝鮮半島に入った時期は３３００年前ほどですが、日本列島には３０００年前には入ってくるので、稲作技術は３００年というかなりのスピードで朝鮮半島を南下して、日本列島に入ったことになります。稲作技術の伝播が、人の移動を伴ったものなのか、文化だけが入ってきたのか、実はよくわかっていません。それを解明するカギとなるのが、朝鮮半島の４０００年前から３０００年前あたりの人々の動きなのですが、残念ながら私たちはそこまでは分析できていません。今後の課題はその時期の解明にあるのではないかと思っています。ようやく日本と韓国の間での文化交流も自由にできるようになってきましたので、今後は研究が進むのではないかと期待しています。 20年後には日本人のなりたちが完全に解明される？ では、本日のまとめに入ります。ゲノム解析によって日本人のなりたちがどこまでわかってきたのか。まず、本州を中心とした地域の現代日本人の遺伝的な特徴は、縄文人と弥生時代以降に渡来して入ってきた人の混合によってかたちづくられたということが挙げられます。ただ、縄文人に関しては、人骨の形態学的な研究から予想されたような均一性はありません。彼らはアジアに最初に広がった集団の末裔ではあるのですが、現代には類似集団はもう存在していません。大陸集団と私たちを分けているのは縄文の遺伝子をどれだけ持っているかがポイントとなり、現代日本人であれば、10から20％、沖縄では30％、アイヌでは70％ほどのＤＮＡが縄文人に由来しています。それが大陸集団と私たちの遺伝的な違いを生んでいる要因だということになります。 一方で、混合という話から見ていくと、弥生の開始期から古墳時代までおそらく１５００年間ほどありますが、その期間で混血が行れていって、今の私たちが完成したと考えられます。南九州の例を見ると、この混合は遅れており、中世くらいまで続きます。中央地域とは違うテンポで人々の混合が行われたようです。また、今のところ解明はできていませんが、渡来系の弥生人は朝鮮半島で形成されたのだろうと考えています。 今から１５０年前に、日本人の成り立ちは、イザナギとイザナミがいて、混沌とした地上をかき混ぜたら日本列島が形成され、そこに天孫降臨で神々が入って、土蜘蛛などと呼ばれた在来集団を征服して、ヤマトができたのだと説明されていました。そこから１５０年が経ち、ゲノム解析の進化により本日お話ししたような複雑なシナリオで日本人ができ上がったというところまではわかるようになりました。私は、さらにあと20年も経てば、日本人のなりたちの完成版ができるのではと考えています。 ◆意見交換 性格の遺伝とホモ・サピエンスの優位点 長瀬 遺伝子から見て性格的なものは遺伝する傾向があるのでしょうか。少し極端ですけれど、日本人が弱気なのは大陸から追いやられた気の弱い人たちの末裔だからだという意見があったと思います。性格の遺伝というのはどの程度わかっているのでしょうか。 もう一つは、私が読んだ本の中でホモ・サピエンスは匂いに敏感で匂いのきついネアンデルタール人などの旧人類を駆逐していったという話がありました。駆逐すると言っても、体力的な能力については、頑強なネアンデルタール人のほうが優秀だったのに対して、新しい考え方や意思疎通方法などの認知革命や、記憶領域が高かったこと、火の使い方がうまかったことなどホモ・サピエンスの特長はいろいろあると思いますが、ホモ・サピエンスが優位に立ったことについてご意見があればお聞かせください。 縄文人は分裂気質？ 篠田 性格と遺伝子の関係というのは、必ずしも一対一で対応してない、あるいはそこまできちんと遺伝的な基盤があるということはわかっていません。一方で、例えば特定の精神疾患になりやすい遺伝的な変異である、といったものはある程度見当がついているものもあります。 縄文人の全ゲノムが読まれているものは４、５体しかないのですが、縄文人がどういう精神的な特徴を持っていたのかについていま調べている研究者はいます。その人に聞くと、どちらかと言うと分裂気質の人が多いのではという話が出てきます。けれども、４、５体で縄文人全体の話をするのは少し乱暴かなと私は思っています。 医学の分野で性格と遺伝子が一対一でうまく対応しているような話が確立していって、なおかつたくさんの縄文人と渡来人のゲノムが読めてくると、ある程度、傾向がわかる可能性はありますが、現状ではまだ結論めいたものは出ていないと思います。 一方で、私たち日本人を特徴づけているのは、遺伝的な多様性が大きいということです。つまり、沖縄から北海道まで、様々な割合で大陸の遺伝子に加えて、縄文人のそれを抱え込んでいるからです。それが私たちの特徴と言えます。 さらに言うと、やはり社会の問題というのは文化の問題になってきますので、どういう文化を持っているかで、集団の性格は決まってきます。では、私たちの文化はどうやって形成されたのか、ということを考えると、先祖の人たちの選択の結果、あるいはその日本列島という風土における人間の適応の結果だということになります。そう考えれば、これは日本人特有だという言い方もできるのかなと思います。 ネアンデルタール人が駆逐されたという話は、いろいろわかってきました。ネアンデルタール人のゲノムを読んで、彼らは進化の袋小路に入って滅亡していったという道筋が見えてきました。というのは、ネアンデルタール人は大体30万年前ぐらいから化石が出てきて、４万年前ぐらいでプッツリ途切れています。最後のほうのゲノムを読むと、ものすごく近親で交配していることがわかっています。ゲノムが揃っていて親と子の間に生まれた子どももいることが判明しています。これは、恐らく人数がどんどん減っていって集団を維持できなくなった結果なのでしょう。 それに対して、同じ時代にヨーロッパ・ユーラシア大陸に広がっていったホモ・サピエンスのゲノムを見ていくと、一緒に埋葬されている者同士でも遺伝的に結構違っています。どうもいろいろなところと交流をしながら、ネットワークを広げていったのがホモ・サピエンスだったようです。 もう一つ、ゲノムを比較してわかったのは、私たちはありていに言ってしまうと、子どもをつくる能力がネアンデルタール人よりも優れていたようです。多産なうえに、いろいろな人たちとネットワークをつくり婚姻関係を結ぶ社会のあり方が、ホモ・サピエンスを世界中に広がらせた。それができなかったネアンデルタール人は滅んでいった、ということなのだと考えられています。ただしホモ・サピエンスの中にもネアンデルタール人の遺伝子が入っていますので、彼らは完全に滅びたわけではなく、私たちの先祖の一つになったということです。私自身は、ホモ・サピエンスの優位な点は、フロンティアを広げていくときのネットワークのつくり方が上手だったことが一番大きかったのだと思っています。 日本人のＤＮＡ、中国大陸と朝鮮半島の研究 鈴木（寛） 今日のお話に関連して私の経験から申し上げますと、以前、八戸市で合掌土偶を見たことがあります。当時の知識では、日本に縄文人がいたのだけれども弥生人に追いやられて、どんどん東のほうに行ったから東北に縄文の遺跡が多いのだと単純に理解していました。その後、いろいろな情報に触れて、縄文人と弥生人は混血していったと知識を改めました。先ほどの現代日本人のＤＮＡ（ゲノム）解析を見ると、ものすごく多様性があるということでした。おそらく弥生よりもっと後の時代に多様な人々が入ってきていて、しかもすごく短い期間に混血が行われたからこそ、今の日本人のＤＮＡがかたちづくられたのかなと理解をしたのですが正しいでしょうか。 それから、ＤＮＡを解析されるときに、中国大陸からはサンプルを取り寄せているのか、あるいは手法等を共有して情報をもらって研究を進められているのか、どちらでしょうか。 三つ目は、今後、先生が取り組まれることは本日お話のあった朝鮮半島の研究をもっと進めることでしょうか。 古墳時代のゲノム解析がカギ 篠田 まず、残念ながら現状では同じ地域で、縄文時代から弥生時代にかけて多くの人骨の分析が行われているところはありません。ですから、縄文系の人びとと渡来系弥生人がどう混ざり合ったのかはよくわかっていません。ただし弥生時代に混ざり合わないで、縄文的な遺伝子を持った人と渡来系弥生人の遺伝子を持った人たちが近接した地域に住んでいた場所もあるようです。群馬県あるいは長野県、愛知県の遺跡で、そのような例が報告されています。おそらく生業の違いが大きかったために、ある程度長い間棲み分けていたのでしょう。 一方、東北に目を転じると、今のところ、弥生時代の末までは完全に縄文的な遺伝子の人しか出てきていないのですけれども、古墳時代（３世紀半ば過ぎから７世紀末頃までの約４００年間）のある時期に様相が大きく変わります。古墳ができて、そこに埋葬されているのは西日本の集団の直系みたいな人たちで、このころ大きく遺伝的な構成が変わる事態があったようです。ですから、場所によってはかなり長い間──数百年間の平行期を経て混合していったのですが、そうでもない地域もあった。それから、現代でも関西と北海道・沖縄・九州では少し遺伝的な違いがあるわけです。これは、急激な混ざり合い方をした場所とそうでなかった場所があることによる違いだと思います。 今までは弥生の渡来と言っていたのですけれども、文献史学をやっている人たちは、古事記・日本書紀の世界ですから、古墳時代以降に百済が滅亡して朝鮮半島の人たちがたくさん入ってきたというような話をされます。人類学者はあまりそこを考えていなかったのですが、今は、おそらくそれは相当大事な話だろうと考えています。入ってきた人たちがたくさんの子孫を残すと、その遺伝子がものすごく広がっていくことになります。ですから、実際にもそういうことが起こったのだろう、というのが私の今の予想です。ただそれは、古墳時代の人骨のゲノムをたくさん分析しなければ何とも言えませんから、これからの課題です。 二つ目の質問についてです。中国大陸の古代人のＤＮＡ解析は、大部分がドイツのマックス・プランク研究所がやっています。この分野の研究では、ドイツはものすごく進んでいます。先に紹介しましたが、同研究所の遺伝学部門のトップだったスバンテ・ペーボは、ノーベル賞（生理学・医学賞、２０２２年）を取っています。私たちも、『ネイチャー』誌に載ったマックス・プランクの研究の一部分を手伝っています。日本の古人骨のＤＮＡは日本の研究者が分析しました。朝鮮半島から出てきている古人骨に関しては、私たちが手がけた２例以外は全部ドイツで行われました。これは韓国の考古学者がドイツにサンプルの分析を依頼したためです。中国では、一部は中国人が分析していますが、モンゴルあたりの古人骨の大部分は現地の考古学者がドイツに送って分析をしています。 いま世界的には何カ所かで古代ゲノムの分析が行れていますが、一番大きいのはマックス・プランク研究所です。あとはデンマークが非常に進んでいます。アメリカが意外と研究が進んでいないのは、倫理的な問題があってアメリカ先住民の古人骨の分析ができないためだという事情があります。日本の場合は、大きくは、私たち国立科学博物館のラボと東大の２カ所でやっているのですが、世界最先端からは数年遅れている感じです。 今後の研究についてですが、いま私は館長ですのでクラウドファンディングでお金を集めたり、博物館の経営を安定化させるのが仕事です。研究者としてはもうリタイア状態になりつつあります。ただ、私どもの後継者が育っているので、彼らが引き続き研究を進めています。個人的には弥生から古墳時代にかけてが、日本という国の成り立ちを考えるうえで重要な時代になりますので、そこをやるべきなのかなと思っています。 遺伝子の影響と自然科学研究の目的 中尾 最初の質問にあった人類の様々な集団の性格や特徴と遺伝的な形質との関係なのですが、先日ＮＨＫの番組を観ていたら、１５００年代の人間と今の人間では男性ホルモンの量がずいぶん変わっていて、男性ホルモンの働き方によって子どもをつくる能力に違いあるという話がありました。いま少子高齢化が各国でものすごく進んでいますが、ホルモンの量が減っていくというのは遺伝子で規定されることなのか、それとも人々の行動形態によって変わってくる部分もあるのか、ご見解をお願いします。 もう一つは、本来自然科学の研究というのは、何か目的を持つとか、世の中の役に立つかとは無関係なもので、いつか役立つ部分もあるかもしれないし、純粋に自然の探究という部分もあると思います。いま伺った研究については、例えばある集団が酒に弱いかどうかは薬の開発には役立つかもしれませんが、そもそもこういう研究のメッセージは何でしょうか。人類みな兄弟ということなのか、あるいはメッセージそのものはないのでしょうか。 ゲノム解析は人間社会への情報提供 篠田 性格の問題と遺伝子という話かは、遺伝子というのは氏（うじ）ですね。ですから氏か育ちかという話になっているのだと思います。それはもう昔から議論されています。こういう性格であるのは氏、血統の問題なのか、あるいは育ち方の問題なのかという話をされますが、現代の生物学ではおそらく「氏も育ちも」という話になっています。環境が遺伝子の発現を変えてしまう──エピジェネティクスという考え方ですが、その研究が今はずいぶん進んできています。必ずしも氏だけで決まるのではなく、その環境がないと変化はないという話です。両者を分けて考えること自体が間違いなのではないかというのが今の考え方になります。そういう意味ではエピジェネティクスの研究が進んでくると、我々が氏か育ちかと言っているものの見方にも違いが出てくると思います。ホルモンの量の話も、遺伝と環境の双方の複雑な相互作用の結果である、という前提で研究が進んでいくと思います。 次に、こういう仕事をして何の役に立つのだという話について、少し無責任な言い方になるかもしれませんが、何の役に立つかは、役に立たせようと考えた人がいるときに出てくる話なのだと思います。ペーボさんがノーベル賞をもらったときに、「こういう仕事はお金が儲かる話ではない」という話をされています。しかし例えば彼がやった仕事の中では、ネアンデルタール人が持っているゲノムの中にコロナ感染症を重症化させる遺伝子が入っていることを突き止めています。逆に言うと、コロナで重症化する人がいる一方で、そうならない人もいることの原因は、実はネアンデルタール人の遺伝子を持っている人と持っていない人がいるからだという説明ができるわけです。コロナ重症化の原因は、ネアンデルタール人の遺伝子にあることがわかると、私たちの理解は一段と深くなっていくことになると思います。そういう理解全体を深めることが我々のやっている研究なのです。 古代から人類がどう進化してきたかは、ゲノムを読んでいくことによってわかってきました。私たちの歴史は文字が発明された５０００年前より新しい時代では、書かれたもの──日本列島にはないのですが──があって、それを見て当時の世界はこうだったのだと理解しています。それより前のことはわからないわけですけれども、そこはゲノムが読めてくると、人間の社会にはこういうありようがあった、ということがわかってきます。例えば、私たちの社会の行く末が絶望的だ、という話になったときに、いや、昔の社会を見てみると、人間ってこういう生き方もできるんだ、ということがわかったりします。そこで、また新たなものの考え方ができるのかなと思います。 今では、ゲノム解析や考古学によって、猛烈な勢いで５０００年前よりも古い、１万年前ぐらいまでの古代社会のあり方が明らかになっています。最近では、よく言われている農耕をやったから文明ができたという考えは、否定されつつあります。もっと前の狩猟採集のころから人はもう巨大な建築物をつくっていることがわかってくると、人間の文明の進歩の仕方というのは、常識だと思っていたこととは違っていることがわかり始めています。私たちは今おもしろい時代にいると思います。そのような、人の社会のありように対する情報提供が、古代ゲノム研究の役に立つ部分ではないかと思っています。 将来のゲノムの姿は？ 発言者Ａ 縄文人から現代人までわずか数千年であれだけゲノムが変化してきた姿を見ると、人と人との交流がなければ各地域で固有の、例えば縄文のままのかたちでずっと残っていたかもしれません。世界中で交流が進んでいく中で、将来のゲノムは均質化と言うか、同じものになっていくのでしょうか。これからゲノムがどうなるのか見通しを教えていただければと思います。 緩やかに均一化に進む可能性が高い 篠田 これからゲノムがどうなるかは、今後の私たちの選択がどうなるのかという話になります。本日説明したように、ヨーロッパとアフリカと東アジアは大きくゲノムで分かれていますが、それは最初にアフリカから拡散していって、各地域で棲み分けて、あまり交流がなかったためです。その後、この三つの地域同士の間で混血が起こって、それぞれの中間に位置する集団が形成されてきました。この交流が続けば世界は全体として均一なゲノム集団を形成することになるでしょう。 現状では、人口比から見ると圧倒的に東アジアが大きいので、もし本当にそうなったら、世界中のゲノムは東アジア人、具体的には中国だと思いますけれど、そこに呑み込まれるかたちになるはずです。一方で、それが嫌だと言う人も出てくるわけです。ですから、その反発と融合がどのようなレベルで進んでいくのかが、これからの私たちの社会の遺伝的な構成を決めていく要因になるのではないかと思います。 ただし、この交流がなくなるという事態は考えにくいので、全体としては緩やかに均一化の方向に進んでいくでしょう。それは過去にできた様々な遺伝的な違いが解消される方向へ進んでいくということです。一方で、それを嫌がる人たちも現れて……というような世界になるのかなと思っています。あとは人口の多い中国とインドが何を考えているかだけですが、それでほとんどが決まってしまうのではないかという気はします。 大陸側の縄文人はどうなったのか 阿部 ゲノムから見た遺伝的な特徴として、現代日本人は縄文人と東アジア──中国・韓国等の大陸の人々の中間点にいることをお示しいただきました。そもそも縄文人は大陸や東南アジア沿岸から渡ってきた人たちだとすると、古代のアジア人と遺伝的な特質は基本的に同質なのではないのかと思ってしまったのですが、なぜこんなにも離れているのでしょうか。大陸側ではすでに縄文人と同じゲノムを持つ人たちがいなくなった上で、別の遺伝形質を持つ人たちが生まれたのでしょうか。 大陸内でも異なる集団との婚姻が進む 篠田 おそらく最初は、大陸の南のほうから人が日本列島に入ってくるわけです。東アジアには６万年から５万年前に入ってきて、４万年ほど前に日本列島にヒトが入ります。数万年間は日本列島の中だけで婚姻をしていて、独特の遺伝子を持った縄文人が形成される。一方で、大陸の沿岸部には、もともとは縄文人と同じ遺伝的な特徴を持った集団がいましたが、大陸の遺伝的に異なる集団との間でも婚姻を進めていった。その結果、この遺伝的な違いが生まれたのだろうと思います。おおもとの６万年前の東アジア、東南アジアのゲノムがないのでわからないのですが、こうして大陸で形成された新たな集団が、３０００年前に日本列島に進入し、縄文系の集団と混合することになって、今の私はここにいるということです。 遺伝子による分析と進化論の接点 網谷 ここ何年かで遺伝子分析のデータが蓄積される一方で、生物の進化については、環境に対応して生き残っていくという進化論があります。人間も進化する部分もあるかもしれないし、環境適応している部分もあるかもしれません。遺伝子による分析と進化論の接点について、どうご説明されているのかをお聞かせください。 ゲノム編集により人類の進化は新たなフェーズに 篠田 かなり大きな問題なので簡単にお答えできるかどうかわからないのですけれども、進化論的なものの考え方は、遺伝子がランダムに変化して様々な形質が生まれる中で、環境が変わったことによってセレクションがかかって、あるものが選択されてその部分だけが残っていく。そうして、元からあったものと少し違うものが現れることが繰り返されることによって、様々な多様性が生まれる──というのが基本的な考え方だと思います。ただどのようにゲノムが変わっていったのかは追うことができるのですが、ゲノムが変わったことによって目に見える形質がどう変化したのかは、実はあまりわかっていないところがあります。そもそもＤＮＡの働きが形質をどう変えているのかも全部つかめていないからです。人間の２万数千個の遺伝子がどう働いて、それによって性格まで含めてあらゆる形質が変わるのかということが理解できたときに、おそらくある程度の目鼻がつくと思います。 一方、自然界で遺伝子はランダムに変わりますが、すでに我々は遺伝子を任意に変える技術を持っています。つまり自由に遺伝子改変ができる時代が来ているわけです。例えば魚の筋肉を２倍にすることをやっていますので、進化に関しては、まったく新しいステージに入ったという気がしています。もちろん倫理的な問題があって、人間の胚（細胞）を編集することは許されていませんけれども、実際にはすでに中国人研究者が実施した例があります。そういうデザイナーベビーができてしまっているのが現状です。 極端な話ですが、もしかするとホモ・サピエンスはすでに滅びてしまっていて、私たちは種として次の段階に達しているのではないかという気がし始めています。歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』を書きましたが、全史ということは「ホモ・サピエンスは終わった」という意味ですね。彼が次に書いた本は『ホモ・デウス』で、デウスということは神の集団になっています。だから、ここでホモ・サピエンスは終わりにして、新しい人類の歴史を書きましょうというのが彼の発想なのだと思います。最初読んだときは、でたらめなことを言っていると思ったのですけれども、いま考えてみると、もしかすると本当に私たちはそこに来ているのではないかと思ったりしています。 あと１００年から２００年経つと、ゲノム編集をしている人間と、していない人間に分かれていくところまで行ってしまうかもしれません。いまゲノム編集ができるのはアッパークラスの人たちなので、今は人間が二つに分かれるところにいるのかなという気がします。すでに神の力を手に入れているということは、実はかなり深刻な問題を含んでいると個人的には思っています。私は人類学者としてホモ・サピエンスをずっと研究してきたのですが、まさかホモ・サピエンスがもう終わりという話になっているとはまったく認識していなかった。けれども、それを考えなければいけないとなると、もう進化論云々というレベルを超えていると思います。 突然変異をもたらす原因は？ 藤原 環境で遺伝子が変わるというお話があった一方で、突然変異によってミトコンドリアの枝分かれが変わって新しい系統ができるというお話もあったかと思います。素人から見ると、環境によって遺伝子が変わるのは緩やかな流れに見える一方で、突然変異は別の原因で激しい変化が起こるという感じがあります。突然変異をもたらす原因は、どのようなものであるのか、教えていただければ幸いです。 突然変異の原因はＤＮＡの複製ミス 篠田 親は子どもに自分たちの遺伝子を半分ずつ渡すときにＤＮＡを複製しなければならないのですが、複製ミスが起こります。30億ぐらいのＤＮＡの複製を子どもに渡すのですが、大体10から50カ所ぐらいミスすると言われています。そのミスの大部分は、おそらく何の影響もないものですが、たまたまガンになりやすい遺伝子をつくってしまうことなどが起こります。複製ミスが表現型──姿形を変えるような変化を起こすこともあります。簡単に言ってしまうと、複製ミスが突然変異の原因だということになります。 ミスと言うと何か悪いことのように思えますけれども、言葉を変えて「多様性を生むためのシステム」という言い方をすると、それはそれで何かおもしろいと思えます。もし全くミスをしない生物が最初に生まれてしまっていたら、今のような多様な生物、人間もいないわけです。いろいろな生物が多様に生まれるというのは、複製ミスをランダムに発生させているシステムが生物に備わっているからだという言い方ができると思います。それは必然的に私たちに備わっている生物としてのシステムですから、ずっと突然変異が起こっていくでしょう。一方で、今はピンポイントで遺伝子を変えることができる時代になっているので、全く違う世界も広がっていると思います。 分子人類学者が考える戦争がなくならない理由 北村 遺伝子を分析して、いま日本列島に住んでいる人たちがどこから来たのか、アフリカを出発した人たちが何万年の間にどのように移動していったのかについては、発掘された人骨を分析することによってわかると思います。人類というのは生物学的に種としてはホモ・サピエンス一種だけだ、と生物学の先生方は言っているわけです。それにしては風貌も形質も違うし、まったく種類が違うのではと思うくらい、いろいろな人がいます。今は多様性を認め合う世界になってきましたから、風貌・形質の違いだけで殺し合いするような人はあまりいませんが、昔はそれで散々戦争をやってきたわけです。 ゲノムという視点から人間を分析的に見ていくと、何でヒットラーはあんなことを考え出したのだろうか、なんでハマスは絶対にイスラエル・ユダヤを認めないのだろうか──というような、いつまで経っても戦がなくならない理由がわかってくるのではないかという気がしてきます。ゲノム解析をなさる分子人類学の先生が、その答えを出してくれたらいいのになんて思ったのですが、いかがでしょうか。 遺伝子から見ると人類は99・８％同じ 篠田 かなり難しい話です。けれども人間を生物学的な分野から分析するのは自然人類学という学問で、その中でＤＮＡを使っていろいろなことを考えるのが私たちの研究分野である分子人類学です。私の専門を少し離れて、最近考えていることをお話ししたいと思います。 「人間の認知の力と脳の大きさ」という問題があります。脳の大きさがゴリラ、チンパンジーぐらいの大きさだった猿人から、脳が倍の原人になり、私たちホモ・サピエンスは３倍になっているのですが、分析していくと、集団の大きさと脳の大きさはうまい具合に合っているところがあります。ゴリラ、チンパンジーは最大でも50頭ぐらいのグループです。化石人類もおそらくそれぐらいだったと考えられています。それが原人クラスになって脳が倍ぐらいになると、１００人ぐらいの集団をつくり始める。 ホモ・サピエンスの集団は１５０人ぐらいなのです。今から20万年前ぐらいから脳の大きさが現代人と同じぐらいになっているのですけれども、20万年の間、人が認知できる人数は１５０人ぐらいのままだと考えられています。私たちもそのくらいの能力しかないということです。そう言われても、「俺はもっとたくさんの人を知っている」と反論されるかもしれません。ある人がどういう人間で何を考えていて、誰と誰の間の子どもであるみたいなところまできちんと認識できている人間の数は、おそらくそれぐらいだということです。20万年前にできたハードウェアがそういうものだからです。いま私たちはそのハードウェアを使いながら生きていて、自分の周りに何千人もいる中から１５０人ぐらいを選んでネットワークをつくっている、というのが人類学者の今の考え方なのです。 そうすると、人間をどう見ているかと言うと、自分の知り合いとそうではない人──名前を言える人間と数で数えられる人間がいるということです。我々のすごく複雑な社会は、宗教や法律などいろいろな規制をつくることによってうまくマネジメントしています。それがおそらくかなり限界まで来ている状況があるのかなと思っています。ハマスの例を挙げられましたが、おそらく１５０人の塊とそれ以外の関係は敵対する格好になってしまうのは、今の私たちの認知の能力に限界があるからなのかなと思っています。それがおそらくこの社会の戦争がなくならない複雑さをつくっている最大の原因だと思います。 人類はみな遺伝子上では99・８％ぐらいまで一緒です。ホモ・サピエンスはほとんど変異がないのです。これだけの違いをつくっているのは文化の力になります。文化がいかに重要か、文化人類学がいかに大事かという話はもちろんありますが、始まりのところはおそらくみんな同じだというところを押さえておかないと、私は戦争がいつまで経っても終わらないような社会が続いていくと思います。私たちは遺伝的にいろいろ違うという話をするときには、実は人間というのはそんなに違わないという話を先にすることにしています。そうしないと、遺伝学の成果が正しく伝わらない可能性があるからです。 卑近な例で言うと、イヌを掛け合わせていろいろな犬種ができるのは、イヌの遺伝的な多様性がすごく大きいからです。人間は６万年前にアフリカを出るときに数千人まで減ったボトルネックがあると言われているのですが、それゆえに遺伝的な多様性はものすごく小さくなっている集団です。だから、生物学的に見ればみな同じなので、日本人に効く薬はアメリカ人にも効きます。そういう人として私たちが抱え込んでいる様々な限界、能力をよく見ていくと、その先の社会を考えるときの一つのヒントになるのかなと思います。 どうしてホモ・サピエンスは移動するのか 鈴木（寛） 先ほどのご説明の中に、縄文時代の人の動きで日本列島と大陸の地図があったと思いますが、どうしてホモ・サピエンスは移動するのか。それもある集団を伴って、リスクをものともせず動くのでしょうか。 もう一つは、この移動が数万年前だとすると、現在より大陸と日本列島を隔てる海の距離が狭かったと思いますが、地続きならわかるのですが、多少でも海があるのにそれをどうして渡ったのでしょうか。 フロンティア精神とはみ出し者 篠田 なぜホモ・サピエンスが移動するのかというのはいろいろな考え方があります。まず、フロンティア精神があって、とにかくどこかへ行きたかったという説があります。一方で、追い出されたのだという説もあります。集団の中心にいる偉い人と合わなくて、そこでは暮らせなくなって外に出ていく人がどんどん増えて、結果的に広がっていったという説です。 ゲノムで見ていくと、フロンティアにいる人間のゲノムはその母体となる集団と結構なつながりを持っているように見えます。やはりいろいろなネットワークをつくりながら先へ先へと進んでいった結果が今の状況だと思います。それが最初にアフリカを出てから４万年間で世界中に広がった要因なのだろうと思っています。 その中で海はバリアになります。今から２万年前の東アジアの海岸線を見ると、台湾も朝鮮半島も完全に大陸の一部です。また、対馬までは日本列島の一部でした。海に向かって川が流れていますので、そのまま川の流れに乗ったらすぐ日本列島に着くようなレベル──海に出ると向こう側に日本列島が見える状態だったと思います。 ゲノムで見ていくと、人間は海を挟んだところで一挙に拡散します。むしろ、陸は徐々に人が動いていくように見えますので、一度海に出る能力を持つとものすごい勢いで広がることがあり得たのだと思います。南太平洋への人の広がりが一番いい例ですけれども、南太平洋にどうやって人間が入植していったのかを順番に見ていくと、必ず海流の逆方向へ進んでいます。海流に乗って行かないのは、向こうに陸地がなかったときに戻ることができるからです。必ず海流の逆に進んで、ダメだったら戻ってくるということを繰り返したようです。そのくらいの知恵があって、最終的には広い南太平洋に拡散できたのだろうと思っています。 縄文以前のゲノム取得の可能性 松﨑 縄文人の均一性の問題について、Ｎ９ｂとＭ７ａタイプのＤＮＡが比較的全般に広がっているというお話でした。個人的に長野県出身ということもあって信州縄文人に注目したのですが、資料にそのタイプの記載がなかったように見えたのですけれども、信州縄文人は独特なタイプということなのでしょうか。 また、子どもの頃に日本列島にも原人がいたという本を読んで、兵庫県の明石原人の骨は残念ながらなくなってしまったということでしたが、仮に縄文以前のところでゲノム取得の可能性があるとすれば、その解析も今後進むのかどうかについて見通しなどをお聞かせください。 縄文以前の骨はすべて沖縄で発見 篠田 縄文人の地域性を見ると、Ｍ７ａタイプは海岸沿いの集団です。信州縄文人は長野県の七五三掛（しめかけ）遺跡一カ所から出てきたものだけです。どちらかと言うと、内陸の縄文人にＮ９ｂが多くて、海岸伝いにＭ７ａが多いように見えます。信州は海がないので、それでＭ７ａが出てこないのかなと思っています。ミトコンドリアＤＮＡの系統で言うと、長野と群馬は似ていますから、日本列島の中央部分には似たような縄文人が住んでいたのだと思っています。 ＤＮＡの分析をするためには、その材料となる人骨が必要です。日本の場合、縄文よりも古いのは旧石器時代になりますけれども、本州の旧石器時代の人骨で一番古いのは１万８０００年前の静岡県の浜北という遺跡一カ所です。本州からはそれより古い骨はまったく出てきません。考古学的な証拠では４万年前には日本列島に人が入ってきていることがわかっていますが、古い骨が出てくるのはすべて沖縄です。一番古いもので３万数千年前から１万数千年前──縄文以前の時代の人骨がかなり沖縄から出ています。 けれども、ＤＮＡは北のほうほど保存状態がいいので、南にある沖縄から出たものはＤＮＡの状態があまりよくありません。私たちも何度かチャレンジしていて、南のデータも少しは取れているのですが、核ゲノムの情報までは取れていないというのが現状です。 いま外国のグループとの共同研究──マックス・プランク研究所の最先端技術を使った分析もやっていますので、１年以内ぐらいには沖縄に関してデータを出せると考えています。ただ、残念ながら本州からは骨がまったく出てこないので、今のところ未知数です。 博物館への関心の高さと運営 司会 過日、国立科学博物館に行ってまいりました。日本館、地球館の規模の大きさと、小中学生を中心に来訪者の多いことに驚きました。また、運営費を募るクラウドファンディングで９億２０００万円が寄せられたというニュースに、博物館への関心の高さと役割の重要さを再認識しました。最後にこの点についてご意見、ご感想をお伺いします。 末永く援助を募ることができるシステムを 篠田 今回、本当に皆さんのおかげでクラウドファンディングは大成功しました。ただ、クラウドファンディングをしなければいけないところまで追い詰められたのはなぜなのかということは、マスコミ等でいろいろ質問されてお答えしてきました。国の組織としてあった博物館が独立行政法人に変わったのが、今から20数年前のことです。２０００年に科学博物館は独法になりました。独法の立て付け上、必然的に国の運営費・交付金は減っていきます。現状では、科学博物館の実収入が２割で、あとの８割を国に出していただいています。 一方、博物館というのは無料で見せるべきだというのが世界的なコンセンサスです。ですから、うちも本来は、入館料は下げなければいけないという前提があるわけです。これは博物館運営者としての、ある種の矜持みたいなもので、科博は、高校生以下と65歳以上は無料にしています。ですから、お金をもらっている方は全体の３分の１ぐらいです。 何とかカツカツでやってきたのですが、コロナ対応で閉めなさいと言われて、来館者がゼロになったわけですから、入場料収入なしで運営することは難しくなる。それでも今まで貯めたお金を取り崩したのですが、独法というのは中期目標期間を超えてのお金の繰り越しはできません。国に返納することになりますから、ちょうど切れたところでコロナが起こっていたのでお金がなくなってしまいました。さらに、エネルギー価格が上がり、それでいよいよ立ち行かなくなりました。それで国に援助をお願いしたのですが上手くいかなかった。ということで、クラウドファンディングということになりました。 以前より、ある程度外部資金でやりなさいというペーパーが文化庁から出ています。現状は、科学博物館は２割、美術館は１割が外部資金だと書いてあります。それで大英博物館は４割が外部資金だと書いてある。そうすると、ここまで行けという意味なのかと思うわけです。運営費の４割までを外部資金で賄えるかというと、入場料だけではとても難しいでしょう。他のお金の集め方をしなければいけないということで、私が館長になって２年半になりますが、最初の２年間はいろいろな企業を回って運営資金を出していただけないかという話をさせていただきましたが、ほとんど受けていただけませんでした。これを皆さんに言うのも野暮かと思いますが、なぜかと言うと、何かの目的、事業に対しての資金援助というのはあり得ます。しかし、漫然とした運営費用に対しての支援は基本的にはできませんということで断られるのです。 ですから、一般の人から広く薄く集めるシステムに頼らざるを得ませんでした。賛助会員制度もあるのですけれども、それはなかなか増えません。クラウドファンディングの宣伝効果は抜群に大きく、一気にたくさんの資金を集めることができました。５万数千人の方から寄付していただきました。そういう方々から末永く援助していただくようなシステムをつくらないと、これから博物館は成り立たないと思っています。そこはもう覚悟を決めてやるしかない、というのが現状です。また、何とか企業の皆さんからも援助をお願いしたいと思っていますので、よろしくお願いします。 （終） （２０２３年12月11日） 出席者 金子 洋平(東京電力ホールディングス) ・古城 卓也(中国電力)・ 阿部 雄介(四国電力)・ 松井 宥典(北海道電力) ・北村 雅良(電源開発) ・中尾 武彦(みずほ銀行) ・長瀬 琢磨(丸紅) ・柴崎 晃(大和リース) ・鈴木 行俊(大和リース)・鈴木 寛(トヨタ自動車) ・福島 啓介(トヨタ自動車) ・藤原 正彦(日揮) ・片桐 千博(日揮) ・林 賢永(東芝プラントシステム) ・中島 瑶(明電舎) ・宇佐美幸一(川北電気工業)・ 大下 浩(出光興産) ・小橋 栄作(大成建設) ・松﨑 任宏(安藤・間) ・大熊 義夫(熊谷組)・平田 憲光(前田建設工業) ・赤松 英樹(佐藤工業) ・齋藤 琢(東亜建設工業) ・今村 一紀(東亜建設工業) ・足立 徹(日本国土開発) ・大橋 裕寿(東洋建設) ・栗山 務(FEN)・ 鬼沢 薫(日本地工)・ 網谷 勝彦(日本コンクリート工業) ・小野 真裕(鹿島石油) 会場：ホテルメトロポリタンエドモント／リアルタイム配信司会：公益産業研究調査会 専務理事 堀籠 節

古代ゲノムが明らかにした日本人のなりたち【篠田謙一】