高原明生 – 公益産業研究調査会／koken

『公研』2023年9月号「めいんすとりいと」 ロシアの準軍事組織、ワグネルの創設者だったプリゴジン氏の死亡報道を皆さんはどう受け止めただろうか。 ショイグ国防相やゲラシモフ参謀総長の解任を求め、ワグネルの部隊がモスクワに向けて進軍したのが六月下旬のこと。ご記憶の通り、プーチン大統領はすぐにワグネル指導部を裏切者と非難し、小規模な戦闘があったと伝えられるものの反乱は一日で収束した。だが、プーチンはプリゴジンをすぐには処罰しなかった。 ワグネルのリーダーはその後、モスクワ、サンクトペテルブルグ、そしてアフリカまで、自由に飛び回っていたように見える。そしてちょうど２カ月が経ち、プーチンの言う「悲劇」が起きた。 だが、プーチン政権の下で「悲劇」が起きたのは初めてのことではない。これまで、袂を分かって亡命した大富豪や政府批判の論陣を張っていた新聞記者、そして国外に逃れた元スパイらが何人も暗殺された。ＫＧＢ（ソ連国家保安委員会）の対外諜報部員だったプーチンは、裏切者を決して許さない。人を殺し、隣国の劇場やアパートにミサイルを撃ち込んで涼しい顔をしていることができる類の人間なのだろう。 では、よく比較の対象になる習近平はどうか。習近平がトップに立ってから、反汚職腐敗闘争の名の下に多くの幹部が粛清された。中央軍事委員会の委員まで務めた張陽上将をはじめ、自殺に追い込まれた幹部たちもいる。習近平自身も何度も暗殺されかけたと伝えられる。 プーチンはマフィアの親分に例えられるが、習近平は自分でマフィアに言及したことがある。二〇一二年二月、訪米した習近平はその二七年前にホームステイしたアイオワ州の家を再訪した。そこで当時のエピソードを紹介し、女の子にアメリカ映画を観たことがあるかと尋ねられて、『ゴッドファーザー』を観たと答えたのだと語った。わざわざそのような思い出話をしたのは、重慶市のトップだった薄熙来の側近、王立軍が成都市の米国総領事館に駆け込んだ事件の直後のこと。政治闘争の厳しさを覚悟し、党内を制覇してゴッドファーザーとなる決意表明だったのだろう。 プーチンと習近平の世界観はどうか。プーチンとその取り巻きの世界観について、ロシア人の識者は概ね次のように記している──難民やＬＧＢＴＱなどの権利を保護する結果、民主主義は社会の分断状況をもたらし失敗している。その結果、米国主導の国際秩序は危機に陥り、伝統的な価値観を有する中露が新秩序を主導している。ただし、米国が黒幕として大衆を扇動して起こすカラー革命には警戒が必要だ──習近平の考えは、これとほぼ同じだろう。中国人の学者は、プーチンと習近平は「ソウルメイト」だという。 ではプーチンと同じように、習近平が戦争を起こすことはあるだろうか。理屈からすれば、当面台湾に侵攻する可能性は低い。なぜならば、習近平にとって最大の課題は台湾との統一ではなく、政権の維持だろう。たとえ武力行使が一時的に政権浮揚に寄与したとしてもその効果は長くは続かないだろうし、リスクは巨大だ。政権の維持のために外敵との摩擦が必要であれば、インドやベトナムなど、よりリスクの小さい相手を選ぶ可能性のほうが高いだろう。 だが、それは理屈の上でのこと。習近平は、歴史に名を残すレガシーづくりのためにリスクを取るだろうか。劇場やアパートにミサイルを撃ち込んで涼しい顔をしていられる人物なのか。はっきりと答えられる人はいない。少なくとも、薄熙来や他の政敵たちは監獄に入れられているものの、プリゴジンのような「悲劇」は起きていない。 東京大学法学部教授

プーチンと習近平【高原明生】