黒田東彦 – 公益産業研究調査会／koken

『公研』2024年1月号「めいんすとりいと」 私は、２０２３年４月に日銀総裁を退任し、現在、政策研究大学院大学の特任教授と政策研究院のシニア・フェローをしている。講義は、「構造変化の下での財政金融政策」の１コマであり、内外の大学や研究所などでの講演も行っている。来年１月～５月には、コロンビア大学公共政策大学院の客員教授として、「金融政策の将来」と「国際通貨制度の変革」の講義をする予定である。大学での研究課題としては、国際通貨制度と国際課税制度を考えている。 大学で教えるのは、２００３年～05年に一橋大学大学院経済学研究科教授として、「財政金融政策」や「国際金融論」を教えて以来のことである。一橋大学は石弘光学長のお勧めにより、政策研究大学院大学は白石隆元学長のお勧めによるものであって、コロンビア大学も伊藤隆敏教授のお勧めによるが、いずれも、私自身が大学で研究と教育に携わることを希望していたからである。 学生の時から大学での研究や教育に関心があったが、何といっても、大蔵省・財務省での35年、アジア開銀での８年、日銀での10年の勤務をして、財政政策、国際経済政策、金融政策を実際に担当した経験を学生諸君に伝えたいということと、経験を理論的に振り返ってみたいということがあると思う。経済政策は、政治的・社会的に可能な範囲（「ポリシー・スペース」）の中で最適と思われる政策を選択するので、経済学の教科書のように一義的に最適解が決まるものではないが、想定される「ポリシー・スペース」の中で最適な経済政策を選ぶためには、経済理論が不可欠である。 このような観点から、財政政策、国際経済政策、金融政策を振り返ってみても、予算や税制改正などの財政政策の「ポリシー・スペース」は、かなり限られている。もちろん、これは、憲法の「財政民主主義」の原則に従い、予算も税制改正も国会の承認がなければ実行不能であり、その時々の政治的な制約条件に大きく左右されざるを得ないからである。国際経済政策は、為替政策を取ってみても、貿易政策を取ってみても、関係国との交渉が必要であり、自国の思うように何でもできるわけではない。それに対し、金融政策は、政府から独立して自律的に政策を決められ、中央銀行同士で相手国の金融政策を批判することもないので、「ポリシー・スペース」は広く、理論的な最適解を追求しやすいといえる。 ただ、金融政策についても、物価上昇率が低下し、市場金利がゼロ付近まで低下する中で、経済を刺激し、物価安定を実現するためにはマイナス金利が必要となっても、そう簡単にマイナス金利が導入できる訳ではない。現に、欧州中央銀行（ＥＣＢ）がマイナス金利を導入し、日銀がマイナス金利を導入した後も、米国の連邦準備制度理事会（ＦＲＢ）はマイナス金利を導入しなかったが、法制的な制約もあると述べていた。また、マイナス金利が銀行の収益に悪影響を及ぼすことが懸念され、日銀は準備預金を三層構造にして、マイナス金利が適用される準備預金を小幅にとどめたのである。 「ポリシ―・スペース」は、政策担当者として、その時々の政治的・社会的制約要因をどう見るかという実践的な判断であり、理論化することも難しいし、教えることも難しい。しかし、学生諸君が、将来、政策担当者になるにしても、民間人として政策の行方を判断するにしても、過去に、政策担当者が、どのような政治的・社会的制約の中で「ポリシ―・スペース」を判断して政策を行い、成功するなり失敗するなりした経験を知ることは有意義だと思われる。政策担当者としても、過去の経験を振り返り、「ポリシー・スペース」の判断が間違っていなかったか、その下でも経済理論的に最適な政策を選択していたのか、検証することが望ましい。 なお、大学教授として過去の経済政策を振り返ってみるとき、「ポリシー・スペース」を見誤った例（政治的に葬られた一般消費税やグリーンカード、米国を信用して円高が止まらなくなったプラザ合意など）もあるが、政策効果を見誤った例（バブル潰しの金融引き締め、不良債権問題対応の遅れ、不十分な金融緩和でデフレ持続など）もあったように思う。このあたりを究明していきたい。 政策研究大学院大学特任教授

大学教授になって【黒田東彦】